バスカヴィル家の鶏

「バスカヴィル家の鶏」
第四章　ワトスンの日記抄十月十六日　朝からヘンリー卿は真夜中の沼沢地での奇怪な出来事の為少々鬱っていた。 (僕はホームズで慣れているのでこのような時の接し方はお手の物である)) 　朝食の後､バリモアがセルデンを見逃してくれたお礼にと、先代チャールズ卿が何故あの時間に､門の所へいたかを知っていると告白した。暖炉の中に女性の筆跡であの日門のところで待ち合わせる手紙が残っていたのだ。　頭文字は「L・L」･･･。この女を突き止めれば万事が明瞭になりそうだ。僕はさっそくホームズに手紙を書いた。彼はちかごろひどく忙しいとみえて､ほんの走り書きにすぎない手紙しか、それもめったによこさなくなっていた。　でも､この報告をみれば､いかなる君でもじっとはしていられず、とんでくるに違いない。　ホームズよ、早く来てくれ｡十月十七日　外は激しい雨が降っていたが、僕は防水服に身をかため散歩にでた。しばらく沼沢地をさまよい、そろそろ帰ろうかと思っていたところへモーティマー医師が馬車でやってきた。しきりに勧めるので馬車に便乗すると館の方へ坂道をとばしてくれた。彼はかわいがっていた名古屋コーチンがいなくなったといってひどくしょげていた。一応なぐさめておいたが､きっとセルデンの晩御飯になったのだろうと思い気の毒だった。ふと僕は思い出したように例の「L・L」の頭文字の女性についてたずねてみた。するとなんとあの訴訟狂のフランクランドの娘ローザ･ライオンズという事がわかったのだ。結婚に失敗した上に父親にも見捨てられ、クーム・トレーシーでタイピストとして身を立てているとのことだった。しかし思えば僕もわる知恵が発達してきたものだ。モーティマー氏は何故こんな事を聞くのかしきりに食い下がってきたので、僕はさりげなく養鶏場の経営について質問し､館につくまで時間をサルモネラ菌の話題で持たせた。シャーロック・ホームズと長く共同生活をしてきただけの事はあるもんだ。　その晩僕はバリモアにセルデンのことを尋ねてみた。するとセルデンもサルモネラ菌による中毒で苦しんでいるとのことだった。そして潜んでいる岩室の近くに怪しい男が隠れていて同じようにサルモネラ菌で苦しんでいるというのだ。一見紳士風で､食料等必要なものは少年が持ってくるらしい。このあたりにしかない新種のサルモネラ菌なのかもしれない。
第五章　沼沢地での再会と死　さて十月十八日から二、三日はこの事件が急展開で終結に向ったので鮮明な記憶に残っているのでそれをたどって綴っていこうと思う。　私はローラ･ライオンズ夫人を訪問した。彼女は離婚費用をチャールズ卿に手紙で頼んだ事は認めたが、待ち合わせの場所には行っていないといった。この訪問は成功したと言えなかった ―――岩上の怪人物の方を調べてみるとしよう。しかし沼沢地に無数に広がる石室を探さなくてはならない、しかしあの男の立っていた黒色の岩山だけは覚えているので、あれを中心に捜査を進めてみようと思う。もし潜伏地を見つけてもそこに彼がいなかったら徹夜しても帰ってくるのを待ってやろう。私一人で正体を暴くことが出来たら、ホームズにおおいに自慢できるというものだ。 (決め台詞は「ホームズ君、初歩的だよ」だ！）　フランクランド老人の屋敷の前を通りかかるとこの老人に呼び止められた。老人がいきまいて言うには｢警察が知りたがっていることを、このわしが知っとりますんじゃ。ハハハハ、、誰が教えてやるもんか｣　私はホームズの捜査に長年付きあっているので、この手の人物の扱いにはなれているので、わざと何気なく言った。｢へえ、鶏泥棒でも見つけたというのですか？｣｢ハハハハ、ワトスンさん。もっと重要なことですぞ。あんたは沼沢地の囚人の話は知っとりますかな？｣｢ほう！!　あの脱獄者を見つけたとでも言うんですか？｣　ここは大げさに驚いて見せるのがポイントである。「驚いたことに少年が食い物を運びよるんじゃよ。毎日、同じ時刻に同じ道を通うところをわしは屋根の上から望遠鏡で観察しておったんじゃ。あの囚人以外に他に行くところがあるもんか｣　少年！確かセルデンの隣人も少年がお使いをしていたはず、ここはあくまでも信じられない顔をして、無関心を装うっていなければならない。｢それは養鶏場の従業員のせがれが、父親の所へ弁当でも運んでいるでしょう｣　ちょっと反対して見せただけで、誰かさん同様、老人を憤慨させるには十分だった。すると数マイル先になにやら動くものがある。さっそくフランクランド老人は望遠鏡の所へ私を連れて行ってくれた。確かに包みを持った少年が小山を登っているのが見える。私は急いで老人の所を辞し、沼沢地へと向った。　少年の姿は見えなかったが、私は怪人物がすんでいるらしき岩室を発見する事ができた。内部には焚き火のあと、テーブル代わりの平たい石、その上には先ほどの包みがあった。中を開けてみると、パンが一塊、牛肉の缶詰が一つに桃の缶詰が二つ、そして包みの下にはメモがあった。その鉛筆の走り書きを読んでみると｢ワトスン先生は、クーム・トレーシーに行ってます｣　なんとこの怪人物がストーキングしていたのはヘンリー卿でなく、私だったのだ！　一体何の目的で？　私は拳銃の安全装置をはずし、このスートーカーの帰りを待った。　陽はやがてしずみ、美女でもなく、財産家でもないこの私に付きまとう謎の人物の事を考えながら･･･。　しばらくすると足音が聞こえてきた。私は拳銃の引き金に指をかけた。　足音はしばらく立ち止まった。そして再び近づいてきた。｢ワトスン君、夕やけが美しいね｣　聞きなれた声である。｢出て来たまえ。暗い所にいるより外のほうがずっとはればれするよ｣甲高くて、やや皮肉にも聞こえるあの声を、どうして私が忘れよう。｢君だったのか！ホームズ君｣｢出てきたまえ。ピストルに気をつけてくれよ｣　猫の様に潔癖な彼は、べーカー街にいるときと同じように、あごをきれいに剃り上げ、シャツもカラーも清潔そうだった。｢君はベーカー街にいて、例の恐喝事件に没頭していると思っていたよ｣｢そう思い込んでもらいたかったんだよ｣｢君は僕のことを信頼できないというのだね！？｣私は物凄く怒った風に言った。するとホームズは慌てて｢誤解しちゃいけない。君の働きは何時も以上だよ！｣｢じゃあ､僕の報告はみんな無駄だったとでも言うのかい！？｣私はホームズの慌てぶりが面白かったのでさら語尾を荒げていった。｢ワトスン君､君の書いてくれた報告は全部ここにあるよ。届くのが一日遅れことになったけど、君が行った捜査への熱意と手腕には､僕としては感謝するほかないよ！｣　私はいつも私がホームズに対していることを彼からされたのでココは勘弁してやろうという気持ちになった。　太陽が沈んだので私とホームズは岩室に入った。ホームズが話してくれたのだが、なんとベリル･ステープルトンは彼の妹ではなく妻だというのだ。妻にヘンリー卿を誘惑させていたのである。しかしいざ妻とヘンリー卿ができそうになるとつい本音がでたというわけだ。禁断の恋かと期待していたのだが･･･。　そして次は私がローザ･ライオンズ夫人の報告をした。ホームズは彼女の離婚話を知らなかった。どうやらライオンズ夫人は離婚の暁にはステー　　プルトンと結婚するつもりらしいのだ。もし､ステープルトンに騙されている事を彼女が知ったらわれわれの味方になってくれるだろう。
｢おお､あの笑い声は！何だろう｣とホームズが言った。　そのとき沼沢地に響き渡る笑い声が聞こえたのである。そしてその声と重なるように何やら、けたたましい声がするのが聞こえた。｢鶏だ！｣ホームズが叫んだ。「ワトスン君、急いで！」　霧の彼方に巨大な影がさっとよぎり、ドサリと大きな音がしたので行って見ると、ヘンリー卿が倒れていた。その服は最初にベーカー街を訪れた時に着ていたツイードだった。私たちは絶望の底へ突き落とされたが、遺体の顔を覗き込んでいたホームズが突然私の手を強く握り、笑い転げころげながら私を振り回しだしたのだ！ (遂にコカインの中毒がここまできたのか！？) ｢あごひげが！この男にはあごひげある！｣私も覗き込んでみると､何故か爆笑に歪んだその顔はいつぞや沼沢地で出会ったセルデンだったのである。服は以前ヘンリー卿がバリモアに与えたものだったのだ。二人ではセルデンの遺体を移動する事が出来なかったので、私たちはそのままあとにしてバスカヴィル邸へ向った。　ホームズが到着するとヘンリー卿は驚いたが、彼の早い到着を待っていたのだからとても喜んでいた。　その後セルデンの死を告げられたバリモアの妻が嘆き悲しむ姿は憐れだった。彼女にとって彼はいつまでも幼い可愛い弟のままなのだ。自分の為に泣いてくれる女がいない男こそ本当の悪魔であろう……… 　（ホームズは･･･ハドスンさんがいるから大丈夫か？！）