ロドニー・ストーン第4章

第4章　アミアンの平和

　1801年の秋、平和の下準備が整ったとの知らせが広まると英国中は喜びに満ちた。
　8年間に及ぶ対フランスとの戦いで、英国はアメリカ独立戦争で失った信用を取り戻し、植民地のいくつかを獲得する事ができたが、負債はますます増えていき、さすがのピット(アマデウソ注１)も呆然としたくらいであった。
　父の勤務していた船は1797年地中海掃蕩の際には一番最後まで活躍し、翌98年に再び地中海へ出発する時は真っ先に出かけたのだった。エジプト遠征へ向うフランス軍を追跡の時、私の父はミラーの配下としてテセウス号で少尉として勤務した。そして海軍中尉の時にフランス軍がアレキサンドリアへ上陸したことを直ちに報告した功績で海軍大尉へ昇進（アマデウソ注２）、フリゲート鑑オーロラ号に乗り組んだ。
　その後はフランス軍の兵糧供給路の遮断に従事したが、平和条約が発表されてもそのまま地中海に留任していたのであった。
　父が帰ってきた日は48年も前のことだが今でも覚えている。4月のその日は朝から春雨が静かに降っていた。私がジムと釣りをしようと思って外へ出ると、家の前に一台の駅伝馬車が止まっていた。母が言った｢ね、ロドニー、お父様だよ！｣
　父はうす青い目で私優しく見つめながら、再会の喜びを口にした。(挿絵5）
　母が父を家へ入れようとした時、私たちははじめて父の片方の足が向かいの座席に乗せられ動かない事を知った。

(アマデウソ注1)英国の首相。父親と同名のため小ピットと呼ばれる。アメリカ独立戦争で疲弊した経済を立て直し、フランス(ナポレオン)に対抗する為、欧州の各国と対仏大同盟を結成した。
(アマデウソ注２）フランス軍が現地軍と苦戦をしている時にネルソン将軍率いる英国海軍は、アレキサンドル近隣のアブキール湾に停泊していたフランス海軍を攻撃、壊滅状態に陥らせた。　

　　　　　　挿絵5

　　父はうす青い目で私優しく見つめながら、再会の喜びを口にした

挿絵6	しばらく母は父の足の怪我が心配で泣き臥せっていたが、父は母の髪をなで、もう片方の手で私を抱きしめながら言った。「もう平和になったのだから、再びジョージ王のお召しがあるまで、休養して身体を治す事が出来るんだよ」　父は母が用意した長いパイプに火をつけ一服した。　そしてあたりが夕闇にくれ部屋に明りがともされると、母と父は突然跪くと手を握りあって無事に帰宅できた事を神に感謝した。(挿絵6）　父はパイプを揺り動かしながら･･･。

　食事が済んだあと、父は私にさっそく勉強の事を聞いてきた。
　しかし私は父の出題する問題―――キャンパーダウンの海戦の時の船の数や地理―――に答えることができなかった。すると今度は算数の問題を出してきた。それは父がこのたびの戦争で得た賞与金の計算だった。
　私は計算は得意だったので即座に答えることができた―――父の賞与金は合計で1580ポンドあった―――父は母に言った「メアリー、もうこの上お前の美しい指を働かせたり、貧しい収入に苦しめられることはないよ」これまでの苦闘に耐えてきた母は急に気が楽になったので父の首によりかかって泣き出してしまった。(挿絵7）　
　その後私たち2年近く父と一緒に暮らす事ができた。船乗りは粗野なものであると聞いていたが、父はそのようなそぶりはまったく感じず、どんな身分の人たちと分け隔てなく付き合っていた

　　　　　　　　　挿絵7

　　　　　　　挿絵8

　1803年の春は早くやってきた。4月の中ごろ一通の手紙が届いた。父はネルソン卿からと思っていたが違っていた。それは母の兄チャールズ･トリージリス卿―――高位高官の人々の友人、流行の決裁者として有名だった―――からの手紙だった。(挿絵8）
　父は手紙を見るなり「天候の悪いときに、あの人は俺達から、身を避けてしまった。太陽が照り始めた今になっては、あの人の手を借りる事は何もないよ」と不機嫌になってしまった。
　しかし母は懸命に兄の弁明をしていた。父は私には海軍の地位が保証されているから伯父の力など必要ないといったが母は聞かなかった。兄にはロンドンで大きな権力と人気を持っている。きっとロドニーの出世の役に立つと･･･。
　手紙の内容は甥である私に興味があるのでぜひ会いたい。来週に家に来るというものであった。
　母は有頂天に舞い上がっていたが、父は相変らず不機嫌であった。そして私は伯父に会うということはどのようなことなのかということを漠然と考えぼんやりしていた･･･。