ロドニー・ストーン第9章

第9章　ワテイアー倶楽部　

　ジャーミン街にある伯父の家はほんの小さいものだった―――部屋が五つと屋根裏部屋が一つ―――「一人の男の料理人と一軒の小さな家」と伯父は言った。しかしどの部屋も趣味の良く飾られ、この家を訪れた伯父の友人達は自分達の壮大な屋敷に不満を覚えるのであった。
　家に入ると待っていたものはアンブローズの手紙であった。
「親愛なるチャールズ・トリージリス様」ではじまるその手紙は突然の失踪を詫びるものであったが、その理由はまったく書かれてはいなかった。伯父は有能な従者の突然の辞表に不機嫌になってしまった。
　しかし気を取り直し私の衣装作りに取り掛かる事となった。仕立屋のウエストンがよばれ寸法取りが、そして二日後仮縫いが行われた。伯父は私の傍らに立ち一つ一つの縫い目を折り返しながらウエストンと議論を戦わしていた。(挿絵1)私が早く終わってくれないかと内心思い始めたとき、ブランメル氏（注１）がやってきた。すると今度伯父は彼と共に私の襟飾りとチョッキについてたっぷり10分間ほど議論を戦わせた。
　ブランメル氏が帰ると伯父は「あの若い男は私にとって代わることになっているんだよ。どんな人にでも得意な時代というものがある。私は人に越される事が嫌な人間だから私の時代が過ぎたということさえわかりすれば、もうセント・ジェームズ街に顔出しはしないよ…」と重々しい口調でいった。

（アマデウソ注1）ジョージ・ブライアン・ブランメル。通称ボー・ブランメル（1778年～1840年）ジョージ4世の摂政時代（1811年～20年）のファッションリーダー。

　　　　　　　挿絵1 　　

挿絵2	そのあと伯父は外出の装いが整った私を連れてロンドン市中を案内してくれた。そして最後に流行を追う人々が始終賭事をやっているワイテアー倶楽部へ私を連れて行った。当時はピットとか、ネルソンとか後に至ってはウエリントンとか言った陸海軍々人や政治家たちが、目前に差し迫ったボナパルトの威嚇によって社会の前面の押し出されていた。またあの頃は人と変わっている事を良しとする時代であった。グラブの部屋の片隅の赤いヴィロードの椅子に座り伯父は目の前を行き交う風変わりな人たちの事を私に教えてくれた。(挿絵2)

　
　しばらくすると、ぼんやりとした顔つきの老人が私たちの前に立ち止まって、私を見上げたり見下ろしたりして私の悪口をブツブツ言いうとそのまま立ち去って行った。(挿絵3)
　伯父は私に慰めの言葉をかけながら「あれはダッドレー卿といって誰に対しても酷い独言を言う変わった性癖の持ち主なんだ。でもそれで今日の社交界の地位を築いたんだよ」といった。
　しばらくすると先ほどのブランメル氏がやってきて伯父とファッションについて論議を取り交わしていた。
　私がこの変わった洒落者の社交界を訪れてあれからもう４７年にもなる。いつ間に小さな優しい帽子、チョッキ、そしてあの襟飾りはどこへ行ってしまったのだろう―――それはそれを生み出した者達と共に消えていってしまった。
　あそこにいた洒落者達はその不思議なファッションと同様に不思議な人生を送りそして死んでいった。あるものは自分自身の手で、そしてあるものは借財のどん底で異郷の地で果てたのである。

　　　　　　　挿絵3

　私たちがクラブから出る途中ドアを開け放した部屋―――賭事室であった―――の前を通った。すると中から背の高い憔悴しきった男が出てきた。ホイスト（注２）でボロ負けしたロシアン卿である。
　卿は最初、負けた愚痴を伯父に言っていたが、話題を切り替えて今度の二人で主催するボクシングの試合を話し始めた。伯父が対抗選手を見つけられないのを知ってか挑発してきたのである。伯父はこれに「君のほうから試合に日時を言ってくれればそれまでに人をさがすよ」と冷やかに受けてたった。
「もし良かったら4週間後の日曜日に」
「宜しい5月18日だね」
「それまでに名前を変えたいものだな！」
「どうしてだね！」伯父は驚いて訊ねた。
「僕は間もなくエイボン卿になれるだろう」
「何か消息でつかんだのかい？」伯父の声が微かに震えているのを私は気が付いた。ロシアン卿の話によれば彼の代理人がエイボン卿の死の証拠を発見したというのである。もっともロシアン卿はそれを信じてはいなかったが。
　しかし親友のエイボン卿を殺人犯扱いするロシアン卿に伯父は先ほどとはうってかわって怒りをあらわにした。さすがのロシアン卿も伯父に恐れをなし、最後は許しを請うように話題をかえた。そして伯父が今週の金曜日に開くボクシング愛好家の集いに、今度の試合の選手をつれていくので詳細を決めようと言った。
「よかろう、ロシアン君。是非来てくれたまえ」伯父はそういって彼と別れた。
「あの男は、いい運動家なんだよ。ローディ」彼が立ち去る姿を見送りながら伯父は言った。
「それに、大胆な騎手だし、英国第一の拳銃射撃手だ。しかし―――――危険な男だよ！」

（アマデウソ注２）トランプ遊戯の１種。ブリッジの元になったゲーム。