第22章　大円団 　エイボン卿の一家はジェイムズ・オヴィングトン卿の馬車に乗り彼の屋敷へと行ってしまった。伯父はそれを見送ってから村へと馬車を向わせた。 ｢甥よ。私はすぐにお前の父上に会うのがいいだろう｣伯父は私の父に決闘の立会いを頼むつもりなのだ。ロシアン卿が決闘家として名をはせているので、私は伯父の身が心配だった。 それを見透かした伯父は笑いながら、自分は決闘は初めてではない、大丈夫だよと言った。 　道すがらロシアン卿側の立会人であるコルコーラン氏が，決闘は明朝7時である事を告げた。 　私の父は入り口のところで待っていてくれた。(挿絵5） 　私はわが家へ帰ってきたのだ。母は涙を流しながら私を抱きしめてくれた。小さな赤い壁の居間。輝く火格子の側でパイプを燻らす父。その傍らには編物をしている母･･･何故私はこのように居心地のよい場所を捨て都会に出ようと思ったのだろうか！ 　しかし私は再びここから去らなければならなかった。父はすでにネルソン提督よりカトウ六十四号の司令官として任命され、私へは召喚状が届いていたのだ。 　父は大喜びだったが、母は涙にくれながら「ストーン家の者は一人残らず海軍の軍人なのですから･･･チャールズ。可愛いロドニーに世の中の見せてくださった事は忘れませんわ」と言った。　 　　　　　挿絵5　　　　　　　　　　　　　　　　 　　　　　　　　　　　　　　　 　伯父は母に「お前の息子は私の良い相棒だったよ。少なくとも世の中を見せてやり、優雅とはどういうものか、身のこなしはどうするのかを示してやった。私は都市でのロドニーの行動に失望したが、それは私の基準でから見たものであって私が間違っていたんだ。彼の職業の選択は間違ってはいないと思うよ」というと親愛の情として例の嗅ぎ煙草入れを私に差し出した。 　　　　　　　挿絵6　　　　　　　　　 　　 　その夜のことであった。私は早々床についていたのだが、ロンドン街道をやってくる馬車の音が聞こえた。それは居酒屋の前で止った。春のさわやかな夜だったので私は窓を開けていたので音が良く聞こえた。 「ロシアン･ヒューム卿はお出でですか？」その声に私は飛び起き覗き見た。3人の男が入っていたかと思うとロシアン卿が彼らに伴われて出てきた。卿の債権者が告訴したのである。 ｢私は翌朝7時に非常に重要な約束があるんだ！｣とロシアン卿は抵抗したが，執行人によって打ち据えられ、月の明るい道路上に倒れこんだ。(挿絵6) 　彼らは卿を抑え込みそのまま馬車に放り込んだ。以後債務者の牢獄を訪れない限り、ロシアン･ヒューム卿の姿を目にすることがなかったのであった…。 　　エイボン卿はアンブローズの証言を得て、完全な無罪を勝ち取ったが長年の不健康な生活のせいで2年後に亡くなった。ジムはその後、卿の後を継ぎ小作人に愛され最も立派な運動家として名を馳せている。 　忌まわしいクリフ･ロイヤルの屋敷は取り壊され，今ではそこに近代的な屋敷が建っている。屋敷の門衛所は生垣や薔薇で彩られ、そこには老拳闘家ハリソンとその妻が幸福な余生を送っていた。ハリスンは薔薇に囲まれた入り口で日光を浴びながら昔の話を繰り返す事を無上の喜びとしていた―――ただし妻が来るとピタリとやめてしまったが。(挿絵7） 　伯父のチャールズ･トリージリス卿は数年間ロンドンで伊達者として名を馳せていたが、やがてブランメンにその地位を奪われ、失意のうちに亡くなった。そしてその遺産は遺言により多くの人々に分配された―――従者アンブローズ｡そして私の母へ。 　　　　　　　挿絵7　　　　　　　　　　　　　 　　　　　　　　　　　　　 　さて私の物語はどうなったというと今は差し控えることにする。そのうちトラファルガーの海戦でフランスとスペインの戦艦2隻を一手に引き受け、砲弾が飛び交い、船尾が砕けるなか、なお余裕の面持ちで死の寸前まで林檎を食んでいた私の父の事を書き起こす事もあるだろう。 　私はあの十月の夕暮れ、煙が大西洋の波のうねりが上がり、空の極まりなき紺碧に消えてゆくのを見た。そしてそれと共に国の上に覆い被さった雲も晴れていったのだ。それはやがて薄くなり遂に平和と安寧の神の太陽が私たちの上に輝きだしたのだった。 　願わくはそれが二度と曇らざる事を･･･。(完）