第12章 フレードングの喫茶室
少年ジムはクローリーのジョージ家に行きベルチャーとハリスンのもとトレーニングを受けていた。一方ロンドンのクラブではジムがいかにして4グラウンドでバークスを倒したかでもちきりとなっていた。
ジムはフライアズ･オークで自分の名をあげたいと私に漏らしたことがあったが、今それが現実となったわけである。
さて、私の父がロンドンを訪問したのは戦争がおこるわずか4.5日前であった。父は都会には愛着を持たず、心は常に水平線のかなたにある人であったが、戦争は音を立てて近づき父は自分と私のために海軍に確固たる地位を得るため、自分に多大なる信頼を寄せてくれるネルソン提督を訪ねる為にロンドンへやって来たのである。
父が訪れたとき伯父は夕方の習慣で、緑の乗馬服・平たいボタン･コルドバ靴･丸帽という出で立ちで、尾を刈り込んだ愛馬にまたがって乗馬に出かけたところであった。
(挿絵2）
私はあとに残った。と言うのも自分には伯父達のような洒落者の生活はあわないと分かってきたからである。
挿絵2
挿絵3
叔父の冷淡なくせに恩人ぶった態度にも私は複雑な感情の中にいた。私が田舎の親切な単純な生活を懐かしがっている所へ父はやってきてくれた。
そして私を海軍将校のあつまるフレードンク家へ連れて行ってくれた。夕食が済むと私達は大きな喫茶室へと行った。
部屋へ入ろうとすると年長の将校とすれ違った。父は「あの人がカッディ・コリングウッドだ」囁いた。するとこの有名な将軍は「やあ、ストーン大尉！」と父に親しげに話しかけてきた。
(挿絵3)
コリングウッドはナイル川まで遠征に行った父とは違い、今まで脾肉の嘆をかこっていたのだ。
そこへ同じような境遇であったトルーブリッジが話の輪の中に入ってきた。みな今度の戦争でネルソン提督より活躍の場を与えられる事を希望していた。
するとトルーブリッジはコリングウッドの不遇の時をたずねた。すると彼は家族と共に内地のモーバスに滞在していたといってポケットから黒い小さな皮袋を取り出した。その中には水兵たちにとって銃弾よりも大切なもの―――戦艦を作る為の材料となる樫の実―――であった。
(挿絵4）
彼はこれを散歩の途中に植えていたのであった―――八十砲艦一隻を造船するのには約2000本の樫の木が必要となる。今の英国の森林では到底無理だ、我々の子孫達がフランスと戦う為の戦艦の木材を今から用意しなければならないと…。そこまで話すと彼はトルーブリッチの腕をとりその場から退場した。
挿絵4
挿絵5
父は私に喫茶室にいる大勢の将校たちを教えてくれた。彼らは長い、さきの赤いパイプを互いに振りながら、海上のことについて声高く話したり、議論したりしていた。
(挿絵5）
ナイル川で先陣をつとめたフォーレー艦長・海軍でもっとも勇壮な巡洋艦の艦長サー・コクラン―――彼らは海軍に置ける自分達の理不尽な境遇を語り合っていた。
そして最後は当時の敵であるフランス人の脅威へと話題はかわっていった。ナポレオン率いるフランス軍に当時の人々は恐れを抱いていた。フランス人という言葉にはその前に「悪辣な」「不埒な」という前置きが必ずつくのであった。
ナポレオンが欧州の専制君主となる事を阻む為当時の英国人たちは戦ったのである。
論争のさなか突然戸口のほうが騒がしくなった。｢何が、おこったのだ？｣と多くの声が聞こえた。
「彼を持ち上げろ！胴上げをしろ！」と誰かが叫ぶと同時にトルーブリッチが、群衆の肩の上に現れるのが見えた。彼は手紙らしきものを振りかざしながら興奮した面持ちで言った。
(挿絵1）
「諸君！大ニュースだ！ついにフランス大使は今晩我々の宣戦布告を受け取った！」
そこにいた無愛想な老将軍、真面目くさった二等大佐、年若い大尉たちすべてが乱舞･驚喜した。
今まで語られていた愚痴話は過ぎ去り、陸に閉じ込められていた海鳥たちはもう一度泡立つ波の上を飛ぶチャンスを与えられたのである。 「ゴッド･セーブ･ザ･キング」
(アマデウソ注１)
の調べが喧騒の中から沸き起こり、大きなうねりとなって辺りを包み込んだ。
私はそこに溶岩が噴出するような爆発的感情を表した時でも、英国人の持っている冷静な真の姿を見ることが出来たのである。
(アマデウソ注１)英国の国歌。歌詞は以下の通り
God save our gracious King !
Long live our noble King !
God save the King !
Send her victorious,
Happy and glorious,
Long to reign over us,
God save the King!
（現在は女王が国家元首なので「God save the Queen」です。）
挿絵1
