第16章　クロウレイ草原 　私達は一晩中ジムを捜しまわったが、路上に残された血痕以外に手がかりは何もなかった。 　重苦しい雰囲気の中私達は朝食のテーブルで会議を開いた。この席にはスポーツに関して幅広い知識を有しているバークレー･クレイヴィン氏が招かれた。ベルチャーは手塩にかけて育て上げたジムが突然消えてしまったことに動揺して、怒鳴り散らした揚句バークスたちに呪いの言葉を吐き出した。伯父は朝食を口にせず黙り込んだままで、私は不安から泣きたい気持ちで一杯であった。 　ひとり落ち着いたクレイヴィン氏は、ジムがいなくなったとき状況を分析しようと提案した。しかしクレイヴィン氏の推測はあまりにも楽観・非現実的であったため、かえって私達は悲観して黙ってしまった。 　と、この時ベルチャーが席から飛び上がった。「聞いて！　聞いてくれ」と叫んだ。(挿絵1） 「なんだね」と私たちが返した。 　　　　　挿絵1 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　　　　　　　　　挿絵2 　　　　　　　　　　　　　　　　 　　　　　　　　　　 　ベルチャーが言うには昨夜酒場に見知らぬ男がやってきて、ジムの勝算を熱弁し、その場にいた人たちをジムにのりかえさせ、10対1だった掛け率を5対５にしてしまったというのだ。窓越しにベルチャーはその男見つけたのだ。その男は混雑した道の真ん中に酔っ払って寝ていた。 私達はその男と元へと駆けつけたが、彼はフライアズ･オークの酒場の主人と分かり、ジムを昔から知っていたという理由からその様な事をしたのだった。新たな手掛かりが掴めるかと思っていた私達はまた失望の底へ追いやられてしまった。 　取りあえず伯父は男から何か聞きだそうとしたが、私は「肩をゆすぶって、耳先で名前を呼んだのですが起きませんでした」としか答えることが出来なかった。(挿絵2） 　その様子を見ていたクレイヴィン氏は伯父にそろそろ試合会場に行ったほうがいいと提案した。すると伯父は優雅なしぐさでラベンダー水を嗅ぎ、そしてたとえ試合が不参戦におわったとしても見苦しい姿では現れたくないので、身支度をするといった。 　北米へ旅行したしたことがある人たちは、英国紳士とインディアンは実によく似ているという。狩猟を愛し、そして困難に直面しても決して感情を外に出さない―――今の伯父はまさにそうであった。 　伯父の支度が終り私たちが試合会場に向ったのは9時過ぎであった。会場はくぼ地に設置され、それは自然の大円形劇場であった。やがて会場にウィルスンを伴ってロシアン･ヒューム卿が現れた。 　そして伯父の前へくると「あなたの選手はどこにいますか」と聞いてきた。 　伯父は「その問題ならば他人ではないあなたに聞きたいですよ、ロシアン卿」と切り替えした。すると驚愕の色がロシアン卿の顔に現れ消えた。(挿絵3） 　　　　　　　　　挿絵3 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　　　　　　　　　　挿絵4 　 　伯父はロシアン卿に暗にジムの誘拐が彼ではないかとたずねた。彼は知らぬぞんぜぬを通し、二人の間には冷たい鋭い視線が交わされた。しかしまた彼らの地位にふさわしく冷静な二人に戻った。 　やがて支度のテントからウィルスンが出てきた。上半身は裸で、白のキャラコのズボンをつけ、白絹の靴下をはいており、ウエストには黄色の飾り帯をしていた。その筋肉美はベルチャーさえ感嘆するほど素晴らしいものであった。ロシアン卿は時計を見ながらイライラしはじめた。「時間だ！」とさけんだ。 　そして伯父に向って、あなたの選手はどこにいるのだ、詐欺だ、欺瞞だと騒ぎ始めた。 　試合時間まであと1分、というそのとき群集から渦巻きが起こった。空高く古ぼけた帽子がクルクルと回りながらリングを取巻いている群衆を超えてリンクに落ちたのだ。(挿絵4） ｢ありがたい。たすかった｣ベルチャーが叫んだ。 ｢あれは私の選手のように見えますが。｣と伯父は静かに言った。ロシアン卿は間に合わない！と地団太を踏んだが、レフリーは答えた。 「いえ、まだ時間まで20秒あります。さあ試合開始です！」