コナン・ドイル博士との一日
A Day with Dr.Conan Doyle.

ストランド・マガジン1892年8月号掲載
ハリー・ハウ　著
居眠 狂四郎 　訳

　最新の探偵物語−それがコナンドイル氏の与えてくれたものだ。我々は古い物語にすっかりうんざりしていたのだ。彼はごく普通の人間だったが、それまでの人生の経験をもとに、民間人が警察やエージェントの手を借りずに、自分で手がかりを追い、易々と犯罪者を追い詰める物語を書いた。シャーロック・ホームズは犯罪の世界に飛び込んでいった。彼は走り出したのだ。
　頭のいい男、冷静で計算の立つ男、それがホームズだ。毛糸のコートやミルク皿から殺人の証拠を見つけだす。我々から見れば取るに足らないものが、ホームズにとっては手がかりとなった。ドイル氏はなかなか狡猾で、自分は最初からすべてを知っていて、読者には物語の最後まで上手に秘密を隠した。犯罪の謎を提示し、それに対する多くの推理を与えてくれる人物は、これまで「シャーロック・ホームズ」以外には一人もいなかったのだ。
コナン・ドイル夫妻
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　私は、サウス・ノーウッド地方の上品で控えめなたたずまいの赤レンガの住宅へ向かいながら、こういったことを考えていた。ここにコナン・ドイル氏が住んでいるのだ。彼は私の想像とは全く異なっていたが、そういうことはよくあることだ。彼は特に鋭い目をしているわけでもなかったし、特に“探偵的”というわけでもなかった。もちろん現代のわれわれの謎解きのようなありきたりな道を歩んでいるわけでもない。彼は幸せで、にこやかな、家庭的な人だった。背が高く、肩幅が広い。熱心に握手してくれて、心からの歓迎の意を表してくれた。フットボール、テニス、ボーリング、クリケットなどの、いろいろなアウトドアスポーツを自由に楽しんでいるようで、よく日焼けしていた。今シーズンのクリケットの平均点は20点ということだった。彼はまた、すばらしいアマチュアカメラマンでもある。
　しかし三輪自転車の練習では少々ふらついていた。奥さんと二人乗りをして30マイルの小旅行をしたときは、最高に幸せだったそうだ。また3才のメアリーを乗せて庭の芝生を走り回るのは、とても楽しいそうだ。
　ドイル氏と私、それに彼の奥さん(すばらしく魅力的な女性だ)は、まずは部屋に入った。書斎は静かな角部屋で、壁にはドイル氏の父親が撮ったたくさんの印象的な写真が飾られていた。ドイル氏は芸術家の家系の出なのだ。彼の祖父、ジョン・ドイルは"Ｈ．Ｂ．"として知られており、彼の政治風刺劇画は匿名で30年以上にわたって続けられた。これらのうちいくつかは、政府が千ポンドで買い上げ、大英博物館に収められている。玄関には、この芸術家の胸像が飾られている。ジョン・ドイルの息子たちは、みな芸術家だった。ディッキー・ドイルはパンチの表紙を手がけた。小さな鳥の上のＤ．の文字の彼のサインが、表紙の隅にある。
コナン・ドイル氏の住宅

コナン・ドイル夫人とメアリー
　書斎のマントルピースの上の、Ｊ．Ｍ．バリー《訳者注：James Matthew Barrie; 1860‐1937; スコットランドの劇作家・小説家》の直筆のイラストはこれらのページを再現したもので、実に興味深かった。それはジョン・ドイルの劇画で、ハイドパークで六才の女王が馬車に乗っている姿を描いたものだ。ちいさな女王が彼女の姿をスケッチする老ジョン・ドイルを見つけ、御者に優しく停止を命じている場面である。
　食堂の壁にはドイル夫人の兄による油絵が飾られている。本棚の上にはたくさんの北極の動物の剥製が置かれている。これはこの家の主人がイギリスよりもいくぶん寒い地方から持ってきたものだ。客間は大きくて豪華だ。椅子は快適で、アフタヌーンティはすがすがしく、薄いブレッドアンドバターはおいしかった。読者は昨年オランダに遠征したイギリスのクリケットチームの写真に気づいただろう。ドイル氏は彼らの一員だったのだ。ここには彼の父親による写真がたくさんある。
「これなんだがね」ドイル氏は大きな青と白の皿を壁から外して言った。
「これは故ケディーヴ《訳者注：スエズ運河開通を促進したエジプト藩王》のディナープレートなんだ。ポーツマスに住んでいた頃、ある年寄りの患者がお別れを言いに来てね、これを餞別代わりにに置いていったんだよ。彼女の息子は若くて健康なインフレキシブル《訳者注：Inflexible、イギリスの装甲艦》の水兵だったんだが、アレクサンドリアで砲撃されてね。砲弾はインフレキシブルのどてっ腹に穴をあけた。彼は泳いで逃げたが、気がついたらインフレキシブルの食堂にいたんだ。彼はこの皿を取って、また泳いだ。これは自分の宝物なんだが、ぜひ私にもらって欲しいと彼女は言っていた。私は感動したよ」
　私たちは煙草に火をつけて、書斎に座り直した。ドイル氏は1859年にエジンバラで生まれた。9才でランカシャーのストーニーハースト《訳者注：ストーニーハーストカレッジ、イングランドのランカシャーにあるローマカトリックの男子寄宿学校》に通った。そこには彼が編集した校内誌が残っていて、彼はその中で詩を書いている。そこに7年かよって、その後ドイツに渡った。そこの学校にはイギリス人の学生が何人かいて、ドイル氏はそこでも校内誌を発行した。しかしその校内誌はなかなか過激なもので、そのモットーは「恐れずに書こう」というものだった。実際、少年雑誌のつまらなさに対する記事が、少年たちがその雑誌を手に取る前に、校内誌に掲載されたりした。とても過激な言葉が使われており、軍部から学校に圧力がかかり、とうとう校内誌は発禁にされてしまった。
書斎
食堂
ディナープレート

　17才のドイル氏はエジンバラに移り、医学の勉強を始めた。19才のとき初めて「ササッサ谷の怪」という小説を書いてチェインバーズ・ジャーナルに投稿し、3ギニーを受け取った。
「21才まで学生をしていた」ドイル氏は言った。
「医学生のときは、しばしば夜に執筆していたよ。ちょうどその頃、捕鯨船で北極海に行けるチャンスがあってね、卒業を1年遅らせて行くことに決めたんだ。北極地方はすごい気候だったなあ！ここでは考えられないよ。その寒さときたらとても説明できないね。でもとても衛生的でね。あそこは世界のサナトリウムと言っていいね。この煙の何千マイルも向こうでは、世界一空気が澄んでいるんだよ。病人や体の弱い人が行けば、他のどの場所でも得られない空気を味わえるよ。北極では病人もびっくりするくらい元気になるはずだよ」
「捕鯨や狩りやボクシングをやっていたね。私はマイグラブも持っていて、夜には機関室の雑用係の男とボクシングをしたものだ。楽しかったな。帰ってきてからエジンバラの医科大に復学した。そこでシャーロック・ホームズのモデルとなった人物に出会った。これが当時の彼の写真だよ。たくましくて心の優しい人だった。今もエジンバラにいるよ」
　私は写真を受け取った。それはジョセフ・ベル医学博士であった。数か月前にスコットランドの首都でブラッキー教授といるときに、私はその名前を聞いたことがあった。
「私はベル先生の病院で記録係として働いていた」ドイル氏は続けた。
「記録係の仕事は、患者の様子を記録してまとめることだ。いつも70〜80人を受け持っていたよ。用意ができたらベル先生のところに持って行くんだ。先生の周りには学生が集まっていた。先生の直感力は単純だけどすごいものがあった。一つ例を挙げようか」
「『なるほど』ベル先生は言ったよ。『あなたは飲み過ぎですな。コートの胸ポケットに、ウイスキーの瓶を持っとるじゃないか』」
「『靴職人と見たね』先生は学生の方に振り返って、患者のズボンのかかとの内側がすり切れていることを指摘したよ。ひざ石《翻者注：靴屋のひざに載せそこで革を打つ》に寄りかかっているからそうなるんであって、それは靴屋だけの特徴なんだ」
　Mr.ジョセフ・ベル
ジョセフ・ベル(1837年〜1911年)は医学博士ですが写真の名前がDr.ではなくMr.になっているのはエディンバラ王立外科学会（1506年創設、略称ＲＣＳＥｄ）フェローに合格するとDr.ではなくMr.で呼ばれる慣わしになっているからです。
「私にとって、それはとても印象深かったんだ」彼は私の前で続けた。
「彼の鋭く洞察力に富んだ灰色の目、鷲鼻、印象的な姿。指−とても手先が器用だった−を組んで椅子に座って目の前の人物をじっと観察していた。とても親切で、学生のためには苦労をいとわない人だったよ。すばらしい人だった。私が学位を取ってアフリカに行くころには、先生の驚くべき個性と、識別力を備えた頭の良さは、私の心に深く永久に焼き付いていた。でも、まさかそれが、将来自分が医学を捨てて小説家になることに導くとは、これっぽっちも思っていなかったがね」
　ドイル氏がサウスシーで開業したのが1882年のことで、彼はそこで8年間を過ごした。次第に医学より文学の方に興味が移ってきた。無名時代のこの8年の間に、有名な雑誌に50〜60編の小説を書いた。
　これらのうちの何編かは「北極星号の船長」というタイトルで出版されて4版を重ねている。彼は小説における真に独創的な発想を、決して忘れなかった。例の先生の記憶が、再びよみがえってきた。彼は「緋色の研究」を書いたが、多くの出版社に突き返され、結局、25ポンドでそれを売った。
　次に「マイカ・クラーク」を書いた。これはモンマスの反乱を扱ったのもだ《訳者注：モンマスはイングランド王チャールズ2世の庶子; 1685年ジェームズ2世(チャールズの弟)が即位すると王位を求めて反乱を起こし、捕えられて処刑された》。
　これは驚くべき成功を収めた。
　次に書いたのが「四つの署名」で、これは彼の名声をいっそう高めた。読者が強い興味を持ち、名探偵が解決してくれるのを心待ちにするような事件を扱ったシャーロック・ホームズ物が次々と出版されていった。しかしホームズは、言ってみれば時間に追われていたのだ。
Dr.コナン・ドイル
「私は決めたんだよ」ドイル氏は言った。
「自分の力の限界にチャレンジしようとね。知っての通り、私はまだ医者だった。小説を書くことは最高の趣味だった。趣味ではあったが、必ずプロになろうと思っていた。私は14世紀のイギリスの生活の研究に2年を費やした。エドワード3世時代の最も盛んな頃だね。その時代がフィクションの題材になったことはなかった。古い文献を読み漁ったよ。イギリスの歴史の正鵠を得る射手のなろうとしたわけだ。もちろんスコットはそれを見事に成し遂げたし、彼のアウトローぶりはまねできないけどね。でも彼が有名なのはそのアウトローぶりのせいじゃない。彼はまず世界一の戦士で、あらっぽくて、酒飲みで、毒舌家だったけれど、勇気があって、純粋な魂を持っていた。普通の人間は、射手にはなれないんだよ。フランス人は勇敢な戦士だが、ついに戦うことをやめてイギリスの軍隊が国に侵攻することを許してしまった。スペインもスコットランドも同じだ。騎士というのはこれまで描かれてきた以上に人間的だと思うんだ。強さというのは、騎士たる条件とは関係がない。最も有名な騎士の中にも、肉体的には全然弱い人がいるじゃないか。シャンドスがヨーロッパ第一の騎士と言われたときには、彼は80を超していたんだ。私の研究は『白衣の騎士団』として形になった。これはすでに相当な版を重ねているはずだよ」
「私はサウスシーの病院を閉めてロンドンに出て、特に興味のあった眼科専門医を始めることにした。そこで勉強のためにパリとウィーンに行ったんだが、ウィーンでは『ラッフル・ホウ行状記』を書いた。ロンドンに戻ってウィンポール街に部屋を借り、ドアの上に真鍮の看板を出して開業したんだ。でも小説の依頼が入り始めたので、3ヶ月で医者をすっかりやめてノーウッドに移って『ストランド・マガジン』の連載を始めたんだよ」
　私は「シャーロック・ホームズの冒険」に関する多くの興味深い事実を教えてもらった。ドイル氏はいつでも物語の結末を最初に考え、そこから話を組み立てていく。彼はまずクライマックスを考えて、それを実にうまく読者から隠しながら物語っていく。物語を書くのに一週間かかるが、アイデアの方は、外を歩いているとき、クリケットをしているとき、三輪自転車を運転しているときやテニスをしているときなどに、いつでもわいてきた。朝食と昼食の間に仕事をして、夕方5時から8時の間にまた仕事をする。一日に約三千語を書く。
　彼は一般大衆からたくさんの参考文書を受け取っていた。私が訪問した日の朝、ニュージーランドから毒殺事件の顛末が彼に送られてきていたし、ブリストルから遺言書の争いに関する膨大な量の文書の小包が送られてきたこともあった。しかしそういう参考文書が役に立つことはほとんどなかった。そのほかの手紙は、彼の最新作を読んだ読者からのもので、謎が解けたかどうかなどが書かれたものだ。
　彼がしばらくの間、新作を書くのをやめようとしたのはもっともなことだった。彼は自分の愛するキャラクターが飽きられてしまうことを恐れているのだ。しかし、彼はすでに新しいシリーズを始めるのに十分な材料を持っていることを明言してくれた。そして次の「シャーロック・ホームズ」シリーズを始めること、それは同じ雑誌に掲載されること、そしてその謎は簡単には解けないことを、陽気に請け合ってくれた。最終章まで真相にたどり着けないことに、彼は奥さんと1シリング賭けていた。

　ドイル氏を訪問した後、私はエジンバラのジョセフ・ベル氏と連絡を取った。彼はかつての教え子にシャーロック・ホームズを着想させただけのことはある知性をたたえた紳士であった。彼の手紙をは大変興味深いものなので、ここに全文を載せよう。
エジンバラ　メルビル　クレセント　2　にて
1892年6月16日
拝啓
　コナン・ドイル氏の創造した理想的なキャラクターである「シャーロック・ホームズ」に関して、ドイル氏が親切にも私に言及してくれました。私が彼に教えたことについてお聞きになりたいようですね。コナン・ドイル氏は彼自身の想像力の才能で、とても小さな材料から非常に偉大なものを作り上げました。昔の教師の一人に対する彼の暖かい記憶は、ずいぶんと大げさです。
　病気やけがに対する対処を学生に教える場合、まず最初に状況を正確に把握する方法を教えます。状況把握は、健康な状態とは異なる、病気による“ちょっとした”細かな点に対する正確で迅速な評価にかかっています。実際、学生はよく観察することを教えられます。訓練された観察眼が通常の問題、すなわち患者の過去や国籍、職業などをどれくらい発見することができるかを示すことが、学生に興味を持たせるために有効であることを、我々教師は気づきました。
　あなたが患者の過去の多くを一目で見抜いたと知れば、患者もこれからのあなたの治療能力に好印象を持つでしょう。初めて見ると驚きますが、実はきわめて簡単な方法なのです。
　例えば、顔つきを見れば国籍がわかりますし、アクセントで地域がわかる、また訓練された耳には州もだいたいわかります。ほぼすべての手仕事は、手の上にそのしるしを残しています。炭坑夫の傷跡は石切り工のそれとは違います。理髪師のまめはレンガ職人のものとは違うのです。靴職人と仕立て屋では全く異なります。
　陸軍と海軍では歩き方が違います。先月、自分は陸軍兵士だったという男に、本当は少年時代に船に乗っていたのでしょうと指摘しました。こういう例はキリがありません。手や腕の入れ墨は、彼らの航海を物語ります。成功した移民の人の時計の鎖についている装飾を見れば、どこで富を得たかがわかるでしょう。不法移民のニュージーランド人は、モフール金貨《訳者注：1899年まで流通したインドの金貨》を持ちませんし、インド人の鉄道技術者はマオリ石を持っていません。いつでも正確にこのような考え方をすることができれば、患者の国籍や社会的立場、そして病状を、患者が診療室に入ってきたと同時に知ることができるのです。
　この取るに足らない原理をもとにして、コナン・ドイル氏は、その才能と豊富な想像力によって、彼の探偵物語をこれまでにない全く新しいものにしたのです。彼は自分で考えているほど私に借りはないのです。
敬具
ジョセフ・ベル