シャーロッキアンの果てしなき冒険　 by 水野 雅士 ２．ホームズ物語に出てくる主な登場人物の服装 １）男の服装 （３）正装（dress-clothes）・夜会服（dress-coat・evening-coat） 　昼間用の礼服モーニング・コートに対して夜間用の礼服イヴニング・コートがあります。これは夜会服、燕尾服とも呼ばれ、晩餐会・観劇・舞踏会など社交の場で着用されるもので、生地は上着 ・ズボンともに黒のドスキン（厚地の毛織物）などが用いられ、襟の折り返しには黒の絹地がかぶせられ、白いチョッキとシャツを着用します。（右図参照）上着の後のすそが二つに分かれて長く垂れており、ちょうどツバメの尾のようであることから燕尾服（swallow-tailed coat、あるいはtail coat）とも呼ばれます。ネクタイは白地の蝶ネクタイ、帽子はシルクハット、靴は黒のエナメルの短靴かパンプス型が用いられました。これも当初は日常的に着用された時期もあったようですが、19世紀後半にフロック・コートが男子の日常着となり、さらに背広の着用が一般化するにつれて、この燕尾服は次第に儀礼用の礼服に特化されていきました。《花嫁失踪事件》（p366）でホームズが「この手紙はどうやら、ありがたくない社交界からの招待状らしいね。社交界は人間を退屈させるか､嘘つきにさせるかのどちらかだ」と言っているように、彼が社交嫌いだったせいか、ホームズ物語には夜会服を着た人物はほとんど出てきませんが、唯一の例外として《犯人は二人》があります。「河出書房新社版ホームズ全集」でこの場面は、ホームズとワトスンが「正装して」（put on dress-clothes）（p262）と訳されていますが、それは社交の場に出かけるためではなく、ほかに打つ手がなくなったために不法行為と知りつつ、ゆすり屋ミルヴァートン邸に押し入るときに「劇場から帰宅する途中の二人連れに見えるように正装した」のであります。そしてミルヴァートン邸に押し入ると、ホームズは「夜会服（dress-coat）の袖口をまくりあげて」（p266）金庫を開ける作業に取りかかったのであります。 燕尾服 平凡社「世界大百科事典」より ミルヴァートン邸に押し入る ホームズ 《犯人は二人》 (Ｓ・パジェット画) 夕食後のコーヒーを給仕する バリモア 《バスカヴィル家の犬》 (Ｓ・パジェット画)