シャーロッキアンの果てしなき冒険　 by 水野 雅士 第5章　警察と警官たち 　 　4.　ピーター・ジョウンズ警部とアセルニー・ジョウンズ警部 　ホームズ物語に登場するジョウンズ警部は二人います。一人は《赤毛組合》に出てくるピーター・ジョウンズ、もう一人は《四つのサイン》に出てくるアセルニー・ジョウンズで、どちらもスコットランド・ヤードの警部であります。 　《赤毛組合》に出てくるピーター・ジョウンズのほうは、ホームズとワトスン、それにシティ・アンド・サバーバン銀行の頭取メリウェザー氏とともに、同銀行の地下室で深夜の張り込みに参加した警部であります。出かける前にホームズはワトスンに「ぼくは、ジョウンズ君も一緒に連れてきたほうがいいと思ったのだ。彼は専門についてはまるで目が利かないが、悪い男じゃない。でも、たった一つとりえがあるといえば、ブルドッグのように勇敢で、いったん噛みついたとなると、すっぽんのように、こんりんざい放さないことだ」と語っています。ところが張り込みのために四人が合流したとき、メリウェザー氏が「大騒ぎのあげく、出てきたのはネズミ一匹、ということにならないといいですな」と言ったのに対して、ホームズをまだよく理解していなかったジョウンズ警部は「ホームズさんにかなりの信頼を置かれても大丈夫ですよ。ホームズさんには、ちょっとした独特のやり口がありましてね。言わせてもらえば、少々理論的すぎて、突飛なことをするきらいはあるけれども、まあ探偵の素質はある。（略）一回や二回は、警察当局よりもいい線をいったこともあるしね」というように、ホームズを褒めながらも、わりとづけづけものを言っています。 　 ピーター・ジョウンズ警部(右側） (シドニー・パジェット画） 《赤毛組合》より 　一方《四つのサイン》の事件現場に現われたアセルニー・ジョウンズのほうは、ワトスンの表現を借りれば「グレイのスーツ姿の、頑丈な押し出しのよい男」で「赤ら顔で、たくましく、多血症のようだった。ふくれてたるんだまぶたの間から、小さく輝く目が鋭い視線を投げて」いました。ホームズが「お忘れとは思いませんが、アセルニー・ジョウンズさん」と声をかけると、彼は「もちろん、覚えていますよ！ 理論家の、シャーロック・ホームズさんですね。覚えていますとも！ビショップゲイト宝石事件のおりには、原因と推理と結果に就いてわれわれに講義してくださった。忘れるわけがありません。あなたのおかげで、捜査を正しい方向に向けることができた。しかし、まあ、あれはご指導がよかったというより、運がよかったというべきなのをあなたも認めているのでしょうな」と言い、これまたぶしつけな挨拶を返したのであります。この「ビショップゲイト宝石事件」というのは、ワトスンが回想録として公表することがなかった、いわゆる「語られざる事件」の一つでありますが、「あれは、ごく単純な推理でした」とホームズが答えると、アセルニーが「まあ、まあ、真実を認めるのに恥じることはない」と言い、眼の前の事件について「これはどうですかな。これはひどい！　ひどい事件だ！厳然たる事実があるだけで、理論が入り込む余地はないな。（略）この男の死因は、　何だと思いますか？」とホームズにたたみかけました。「いや、これは、わたしがとやかく理論づけるような事件ではないでしょう」とホームズがそっけなく言うと「いや、いや、そうかもしれんが、ときにはあなたの言うことが、ズバリと当たることもあるのでね」とアセルニーの態度は、久々に対面したホームズに対していささか失礼とも言えるものでした。 　しかしながら、やがて捜査に行き詰まると、アセルニーは別人のようにうちしおれてホームズを訪ねてきました。彼の態度は改まり、反省の色まで出ていたとワトスンは書いています。ちょうどホームズは外出中だったので、留守番役のワトスンと一緒にアセルニーがホームズの帰りを待っていると、突然見知らぬ老人がよたよたと入ってきました。その老人は、ホームズに情報を持ってきたと言い、ホームズが帰ってくるまで部屋で待たせてもらうことになりました。じつはその老人がホームズの変装で、突如ホームズ自身に変身してアセルニーとワトスンをあっと驚かせたのであります。アセルニーは「なんという人だ！　役者にだってなれますな、それも名優だ」と思わず感嘆の叫びを上げました。そのあと彼らは警察艇に乗り込み、テムズ河で犯人を追って大追跡劇をはじめることになるのですが、その前にホームズが「食事をご一緒していただけませんか。三十分でしたくできます。カキとつがいの雷鳥、それに白ワインのちょっとしたのがありますよ。ワトスン、君は、ぼくが家政婦となっても一流だとは、知らなかっただろうね？」と言って、めずらしく、ホームズはみずから料理の腕を振るったのであります。 　ところでジャック・トレイシーの「シャーロック・ホームズ大百科事典」の『ジョウンズ、アセルニー』の項および「河出書房新社版ホームズ全集」第３巻のＲ・Ｌ・グリーンによる注釈では、アセルニーとピーターは同一人物であるとしており、とくに前者ではピーター・アセルニー・ジョウンズという複合名を持っているのではないかという見解が提示されています。おそらくこれは上に見たとおり、ホームズやワトスンに対する態度の尊大さやホームズを理論的すぎると見ている点などが二人のジョウンズに共通しているところからくる推測だろうと思われます。 警察艇の「アラート」号 A Night with The Thames Police より 1891年2月号ストランド・マガジン掲載 警察艇 1898年6月号The Harmsworth London Magazine掲載