依頼人ヴァイオレット・スミス嬢は
ファナム駅から六マイル(約9.6キロ)
にあるチルタン農場で家庭教師をして
いた。ファナム駅はＬ＆ＳＷＲの駅で、
当時、ウオタルーから列車に乗ると約
一時間半で到着した。現在の所用時間
は約一時間である。 ホームズは彼女
から事件捜査の依頼をうけた時、その
地を「美しいところです」と言い、贋
金つくりのアーチ・スタンフォードを
その付近で捕らえたのを想いだした。
ヒルや、大きな森にかこまれたチャーリントン屋敷や、チャーリントンの原が
あり、たいへん淋しいところだった。
原は春にハリエニシダの黄金色の花が処処に咲く荒れ地であり、屋敷は水松の古い
生け垣のなかに巨きな木の見える庭園を持っていた。
このような風土が、ロンドンのこげ茶色と淡褐と石版いろの単調さになれたワトス
ンの眼には、ひとしお美しく感じた。そしてホームズとともに、朝の新鮮な空気を
心ゆくまで吸い込みながら、小鳥の音楽に興じ、春の香しい微風を楽しみつつ、砂
まじりの広い田舎道を歩いていった。 ワトスンは「チャーリントンの一人きりの
自転車乗りのヴァイオレット・スミス嬢」と書き出しているが、ファナムから六マ
イル以内にはこの地名は勿論、チルタンという場所もない。当然、チャーリントン、
チルタン農場とは何処か、との疑問が生じる。
マイケル・ハリソンは、チルタン農場はチャールズヒルであり、チャーリントン
はクルックスベリー・コモンにあったとしている。道中にクルックスベリー・ヒル
が実在し、距離が相当するのを根拠にしている。
これに反し筆者は、クルックスベリー・コモンから街道を離れ南に約三キロの
チルフォードをチルタンとする説を提唱したい。根拠として字面が似ている。
ヴァイオレットの発言「クルックスベリー・ヒルの近くの街道に出るまでは特に淋し
い」との発言とよく一致する。
現在の地図に、ファナムからミルフォードに至るＢ３００１国道に添ってクルック
スベリー・ヒルとチャールズヒル、また、国道から南に入ったところにチルフォード
の名前が載っているのを確認できる。
ヴァイオレットは毎週土曜日の十二時二十二分ファナム発ウオタルー行きの列車に
乗るために自転車を利用していた。また、ヴァイオレットは月曜日の九時五十分ウオ
タルー発の列車に乗ってファナムに帰るので、この下見のためにワトスンは九時十三
分ウオタルー発の列車を利用してファナムに向かった。ベアリングーゴウルドはこれ
らの列車はいずれも当時の時刻表の中には見出せないとしている。
年代学者によると、この事件は一八九五年に起ったとする事におおむね異論はない
ようである。一八九五年の鉄道時刻表とワトスンの記述が完全に合致しないとしても
、当時、朝夕の多客時間帯にはウオタルーとファナム間には一時間あたり二本の列車
が設定されており、昼間の閑散時でも一二時間に一本は列車が設定されていたので、
ベアリング・グールドが提唱する問題点はさほど気にかける事はなさそうに思える。
