レザーヘッド

『まだらの紐』の奇怪な事件のおこったストーク・モーラン屋敷はレザーヘッドの 駅から四・五マイルのところにあった。当時、レザーヘッド駅にはＬ＆ＳＷＲとＬＢ ＆ＳＣＲの両鉄道の列車が発着した。ちなみにロンドンまでの両鉄道の所用時間を比 較してみると、Ｌ＆ＳＷＲを利用すれば約五十分でウオタルー駅に、ＬＢ＆ＳＣＲだ と約七十分でロンドン橋駅または約八十分でヴィクトリア駅に着く。 　ホームズとワトスンが事件捜査のためにこの地を訪れたのは、新緑の若葉がもえ、 陽がうららかに照りわたる春の日だった。

ワトスンは馬車にゆられながら、この希望 にみちた楽しい春の象徴と、そのためにこ そ馬車を駆っている私たちの怪奇な運命と は、異様に感じられる対照だと思った。し かしホームズはそんな感傷にとらわれる様 子もなく黙想にふけっていた。

『まだらの紐』は多くの矛盾を含んでいるが、それは鉄道にも 及んでいる。ヘレン・ストーナーが往復切符を持って、朝の一番 列車でウオタルーに着き、七時頃にはベイカー街に居たというが、 それは時刻表で見るかぎり非常に不思議な事であるとClapp,R.T. とWalsh,B.D.J.が提唱している。当時の『ブラッドショー』で調 べてみるとレザーヘッドの一番列車の発車時刻は七時二十二分で、 これはウオタルーに八時十一分に着く。

ヘレンはホームズに事件の調査を依頼した時「母は八年ほどまえにクルーの鉄道事故で 亡くなった」と言っている。クルーの事故は一八八二年である。そこから計算するとこ の事件は一八九一年頃に起ったことになる。 一八九二年にＬ＆ＳＷＲはレザーヘッドの始発時刻を繰り上げ、五時八分発の一番列車を 設定し、これはウオタルーに五時五十八分に到着した。この時刻表であれば、朝の七時 頃にはヘレンがベイカー街に着いていて何の不思議はない。 鉄道からみればこの事件の発生年を一八九二年とすれば矛盾はほぼ解決する。しかし、 年代学者間ではこの事件の発生年を一八八三年とする事に異論はない。この矛盾は今の ところ説明のしようがない。 現在はウオタルーからギルフォード方面行きの列車を利用すれば約三十分でレザヘッド に到着する。