ホームズ絶筆　訳水野雅士



		訳　水野雅士

(10)

　便りを有り難う。前便の最後にいらぬことを書いたばかりに、とんだ心配をかけてしまったね。あの日は結局、発作は起こらずに済んだ。このところ、ぼくは小康を保っているようなので、安心してくれたまえ。
　これを書き上げてしまうまでは、ある種の緊張感がぼくの身体によい効果をもたらしているのかもしれない。ボヘミア国王の訪問を受けた翌日、ぼくは朝食を済ませてすぐにアイリ－ンを訪ねた。彼女はまだ朝食の途中だったが、快くぼくを居間に迎え入れてくれた。ぼくは朝早くの突然の訪問を詫び、状況が予想外に深刻であることを伝えた。そして彼女にどうしても確認しておかなければならない重要なことがあると言い、慎重に言葉を選んでたずねた。
「アドラ－さん、ボヘミア国王が近々結婚されることはご存じですか？」
「はい。そういう噂は伺っております。」
「婚約がいつ発表になるかご存じですか？」
「いいえ、存じません。」

「立ち入ったことを伺って恐縮ですが、非常に重要なことなのでおたずねすることをお許しください。陛下が例の写真を買い取りたいと申し入れられた際、あなたはどういう風にお断りになりましたか。ひょっとして陛下が、つまり、そのう、脅迫を受けたと誤解するようなことをおっしゃるか、お書きになるかされましたか？」
「いいえ。陛下にいまさらそんなことを申し上げて何になるでしょう。ましてや陛下はあの写真の値段はいくらにつけてもよいとおっしゃっておりますのに。私はただ、私の大切なお守りとして持っていたいと、そう申し上げただけでございます」
　ぼくはアイリ－ンの気持ちを傷つけたのではないかと恐れたが、彼女は少し悲しそうにぼくを見つめただけで、それ以上のものではなさそうだった。ぼくはほっとした。聡明な彼女は、ぼくが事件解明のためには聞くべきことは聞かざるを得ないということを十分に理解していたのだ。ぼくは言った。
「やはりあなたは私の思っていたとおりのお方です。あなたが人を脅かしたりするようなことをなさるはずがありません。しかし、もし陛下が猜疑心の強いお方であれば、あの写真が将来脅迫のタネに使われるかもしれないという不安を持たれないともかぎりません」
「陛下はそんなお方ではありません」彼女は即座に断言した。

「失礼しました。しかし陛下ではないにしても、あるいは陛下の側近の差しがねかもしれません。現にあなたの周りにさまざまな奇妙なことが起こっているのは事実ですし、あなたが一国の王を相手にしておられるのだということをお忘れにならないように願います。私はできるだけ早く事件を解決するよう全力をつくしますが、あなたも当面ひとりきりの外出はできるだけ避けてくださるようお願いします」
　彼女の美しい瞳に一瞬不安の翳が走ったが、すぐに事態をありのままに受け入れ、ぼくの忠告に従うことを約束してくれた。
　ぼくは彼女を守らねばならない！　ぼくは彼女のために役立つことができるのだ！　ぼくはそれまでの人生において経験したことのない純粋な喜びに身も心も奮い立った。ぼくは昨夜考えておいた計画、すなわち彼女があの写真を手放すことなく、またボヘミア国王にも写真を取り戻すことを諦めさせる方法を彼女に説明し、その計画の実行について協力を求めた。彼女は大いに驚き、かつ喜んで協力を約束した。われわれは詳細を打ち合わせた。　　

　　　　(つづく）

イラスト　　ストランドマガジン合本9　　1895年のイラストを利用しました。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　管理人みっちょん