現代世界の大富豪たち
THE MONEY KINGS 0F THE MODERN WORLD

 第4回 日本の渋沢男爵 (2)  公開日2007年10月1日
 (渋沢栄一 1840〜1931)
NO.4 BARON SHIBUSAWA OF JAPAN

Windsor Magazine 1903年9月号
W.T.ステッド著
清水 健 訳  
東洋の商業への偏見

 しかし彼が退官した直接の動機は、ミカドの政府の破滅的な浪費を阻止することができなかったためである。井上伯爵と渋沢は、ひどく苦労しながらも通貨を健全化し、政府紙幣の価値を回復させたが、大蔵省の浪費は事態を危うくさせるばかりだった。

 英国人は、政治的地位より実業界に進むことを当然で明白とみなしており、官界を去って、商人、貿易商、銀行家という当時は卑しまれた階級に下ることの勇気を評価することができない。渋沢は勇気に欠けることはなかった。実際の力がどこにあるか見抜いており、約束された将来を犠牲にしたと見られていたが、渋沢は(成功を)勝ち取るため(民間に)下ることを恐れなかった。渋沢は(成功を)勝ち取ったが、闘いは厳しいもので、今でも戦いに完勝してはいない。つい昨年、西洋から帰朝した渋沢は、東京商業会議所で演説し、日本では依然として旧来の偏見が根強く残っていると語った。曰く「米国と欧州のすべての国は、自国の商業利益を発展させるため、お互いに競い合っていますが、状況は日本ではかなり異なり、商人階級に対する軽蔑という古い感情が、依然として強く影響力を残しています。実業家も非難の一端を負うべきかもしれませんが、日本の社会全体にも責任があるはずです。日本の実業家の地位が向上しない限り、その将来は幸福で約束されたものにはならないでしょう。兵士ではなく実業家による戦争は、今日も世界中でつねに戦わされており、勝利の冠は(商業)事業で成功した者に授けられる。日本の商人階級のおかれている嘆かわしい境遇(状態)は、国の進歩を妨げる結果になるでしょう」

 渋沢は妨げられることはなかった。独立した渋沢がまず行ったのは、合衆国のナショナル・バンクの制度に倣って第一国立銀行を設立することだった。最初に総監役として、そしてすぐに頭取に任命され、以来その地位に留まり続けている。1878年、東京商業会議所を設立し、その会頭に任命された。現在もその地位にとどまっている。

 その後の渋沢の業績について語ることは、日本の産業の勃興の歴史を記すことになる。渋沢自身はそれほど資本を所有したことはない。しかし彼は信頼を得ることで、人々の資本を運用する力を与えられた。株式会社(合資会社)は、渋沢が奇跡を起こす魔法の杖であった。

 実業界に進もうと決めたとき、政治に戻るようにとのあらゆる嘆願に決して耳を貸さなかった。元上司の井上伯爵でさえ、政府の(ポスト)を受け入れるよう説得することはできなかった。誘惑は、明らかにそれほど強くなかった。官職に就けば、渋沢は自分の生命で魂である産業と金融の大連合体の経営権を手離し、重役の職を辞さなくてはならない。ただの銀行家への偏見にもかかわらず、明治天皇は喜んで渋沢を叙勲した。貴族院議員に任ぜられたが、1891年にこれを辞任している。1900年に華族に列せられ、男爵を授与された。渋沢は実業家(財界人)として初めて華族に列せられた。

 渋沢は軍国主義に健全な嫌悪を抱いている。渋沢は、ルーズベルト大統領が日本の海軍と陸軍の武勇ばかりを賞賛するのを嫌悪していた。日本に帰国した渋沢は同国人にこう語っている。「私が世界の著名人から温かく歓迎されましたが、それはどうしてでしょう? アメリカ合衆国大統領が、日本の軍事力と芸術を称賛しました。ドイツやフランス、英国が同じ理由で日本を称賛するでしょうか? もし私が外国で受けた温かい歓迎が、私が軍備拡張で知られる国から来たからというなら、正直いって、その歓迎は私たちの信条にとって致命的な打撃です。なぜなら行き過ぎた軍国主義は、残念ながら、国家の生命そのものを衰えさせてしまうのです」 この人物の誉れである健全な精神(感情)である。

 しかし渋沢男爵は「小さな日本人」ではない。「追い詰められたウティカが彼の力を閉じ込めることはない」 渋沢は、太平洋の貿易を支配し、朝鮮への日本の影響力を拡大し、日本を世界の大国にしたいと願っている。渋沢は、商業目的のため東洋は日本に属するという考え方をもっている。渋沢はアルフレッド・ステッドに次のように語っている。「貿易は主に生産品の交換という形をとらねばならないが、我々はすでに、他のどの国よりも東洋市場に供給することができると思う。東洋諸国との貿易は、日本の当然の分け前(取り分)と見なされるようになるであろうし、すでにそれを供給する能力を十分にもっている」 しかし渋沢は奔放な夢想家ではなく、日本が欧米市場で競争できるようになるには「少なくとも2、3世代」はかかると、幻想は抱いていない。日本はこの国際競争力においては、労働力の安さに頼ってはならない。日本の将来は、労働者の技術向上と国民の士気の向上にかかっている。渋沢は昨年、東京商業会議所でこれについて(癪にさわる事実/胸にこたえる真実)を述べた。「私は、日本が、英国や米国、ドイツのように高い商業道徳をもっているとは言えません。現在の道徳の低い状況が続けば、国外から資本を得るあらゆる試みは全く成果が上がらないでしょう。法律は整備できるかもしれませんが、道徳の障壁ははるかに大きいのです。実業の道徳の標準の向上に、あらゆる手を打ちましょう」
 
 渋沢は、征服によって事業を推し進めようとする現代の熱狂に反対している。日本の当然の勢力圏とみなされる朝鮮との関係発展の重要性を強く感じていた。今日の帝国への渋沢の最大の貢献は、朝鮮を商業的に発展させる作業である。渋沢は主要都市に銀行の支店を数多く開設し、渋沢の銀行は朝鮮の金融のかなりを運営してきた。あらゆる功績の中でも最大のものは、済物浦(チェムルポ)と京城、京城と釜山間の鉄道の建設で、その結果、ロシアと支那の銀行や鉄道と競合できるようになった。

 渋沢男爵は朝鮮に金鉱も持っており、鉄道が機能し始めると、大きな利益を生むようになる。この鉄道の特徴の1つはその設備で、この朝鮮鉄道の各駅には必ず欧風に設えられたホテルがある。

 朝鮮の扱いをめぐっては、渋沢男爵はウィッテ氏やローズ氏を思い起こさせる。幸いにも渋沢は、南アフリカ戦争のような壊滅的な破局へと自国を引きずり込んだローズ氏の性急さを真似るような気質は見せていない。


   (図7.朝鮮の日本人憲兵隊)
渋沢は欧州をどう考えていたか。


 渋沢男爵は、祖国の膨大な資源を開発するためにも、資本を導入する必要を強く感じていた。渋沢の熱烈な愛国心は、外国を賢明に研究することから日本が得られる利点から、目を逸らせることはなかった。渋沢は、時代遅れで偏狭、排他的な精神を恥辱とみなし、これに強い嫌悪を抱いて抗議した。進歩主義と保守主義は相容れない。かつて私は英国政府について訊いたことがある。「貴国の保守主義はとても強く、進歩することはとても難しい」と渋沢は答えた。






 

    (図8.戴冠式に向かう巡洋艦「あさま」にて)
   
              (図9.東京女学館の寄宿舎)


 フランスで渋沢は、主にパリ商業会議所に感銘を受けた。曰く「パリは、それまでに見てきた中で最もよく監督された商業会議所に思えた。厳格な法的監督制度の下に組織された商業会議所は、政府と協力して運営している通商調査局を管理下に置いている。通商調査局によって定期的に作成される報告書は、世界の通商状況に関する正確な情報をもたらしている」 しかしフランスは、その商業会議所にもかかわらず、芸術家の国であり、実践的な実業家の国ではないないと考えた。ドイツは「その冷静で物静か、そして科学的な姿勢から、ドイツ国民にとっては科学と商業が協力し合っている」と感心した。英国人について渋沢は、彼らが営むあらゆる事業で、真剣で誠実な熱心さについて語っている。「英国人の動揺しない粘り強さの精神は、進歩的な米国人の心をも恐怖に打ちのめしています」。   
     (図10.東京女学館で挨拶する渋沢男爵)

 これについては、一般に衝動的であるが、経済状況が難しくなると、すぐにやる気をなくしてしまう、自国民の見倣うべき手本だと渋沢は考えている。渋沢の米国についての観察は、大西洋の両側で(欧米で)高い関心をもって読まれるだろう。曰く「アメリカの商業と産業は飛躍的に進歩しています。アメリカは同化への強い推進力です。個々のアメリカ人は他人のことは考慮せず、自分の利益を追求していますが、全国民が一致団結すべき重大な問題が持ち上がると、アメリカ国民としての行動規範の下に全員が協力するのです。アメリカは農産物が豊かで、産業界では進取の気質に富んでおり、将来の発展にとどまるところを知りません。私が最も懸念しているのは、米国の進歩がその国内にとどまることなく、その進歩の翼を極東にまで広げることです。もちろん日本は、紡績業、織物業、製紙業で米国の強力なライバルとなるでしょう。さらに米国は低金利の資金を供給でき、最新の機械装置を採用し、とても熟練した労働者によって操作されています。米国はものを大規模に生産することで、原材料の費用を抑えることができます。日本では全てが逆で、金利は高く、機械は小さく不完全で、労働者は未熟で、生産能力は低いのです」
「一見矛盾しているようですが、文明世界を最初に日本にもたらした米国は、最も親密な友人ですが、将来は商業と産業の分野で日本の最強のライバルとなるでしょう」

 渋沢男爵は自国の将来をとても楽観している。渋沢は分別があり、多くの日本人に見られるように、衝動的に自制を失うようなことはない。日清戦争の後、賠償金の支払いに続いて、無頓着に資本を投じることを非難した渋沢は、ほとんど孤立していた。渋沢の警告を無視した後に起きた惨事から、将来の危機では彼の言葉がもっと説得力をもつようになるだろう。男爵は偉大な博愛主義者で、朝鮮の開発よりも、むしろ東京の養育院や不良少年を更正する感化院に、より強い関心を抱いている。もちろんロンドンを訪れたときも、華麗な戴冠式より、バーナードー医師の孤児院に大きな関心を寄せていた。

 男爵は日本人の中背で、がっしりとした体格、意志の強い顔には物静かさと決断力をたたえている。最近ある作家が渋沢を次のように評している。「大きく真ん丸な顔、獅子のような体躯の幅広い筋骨型の肩、そしてしなやかさが、この男の形作っている。写真をみる限り、渋沢の顔はそれほど(異質?)には見えないが、日本男児の最高の特徴を備えている。その顔は大きくふっくらとしていて、その上に太くて豊かな立派な眉を戴いている。彼の目は小さいが、貫くように鋭く、しかし会話のときは穏やかで表情豊かである。男爵は万人に公平に接している。傲慢で頑固なところはなく、困難を乗り越えてきた人によく見られる不快な、これ見よがしな堅苦しさもなく話す。

 1901年に日本に滞在したアルフレッド・ステッドは、私人として、そして財界人としての男爵を研究する機会にたびたび恵まれ、それを記録にまとめた有用な名著「日本、新しい同盟国」で、渋沢が自国民からどのように見られているかを、次のように評価している。

「渋沢男爵は万人から――富める者も貧しき者も、偉人からも凡人からも――敬愛されている。どこへ行っても渋沢の悪口や、不親切な行いがあったと聞くことは不可能である。そのような評判はまれであるが、それでも渋沢男爵は日本の経済界で最も大きな影響力をもっていると考えられている」

この連載でこれほど好人物の大富豪の、清々しい素顔を紹介することができたことは嬉しい。(了)