コナン・ドイルの全作品の内容紹介と解説・感想(その1:初期作品 1879年〜1893年)
   「ササッサ谷からライヘンバッハの滝までの小説」
 参考資料
 
Memories and Adventures  by Arthur Conan Doyle
 (october 1923 to july 1924, The Strand Magazine)

XXIII. SOME NOTABLE PEOPLE

  1988年Greenhill Books版"Memories & Adventures"
コナン・ドイル自伝『回想と冒険』第23章「著名な人々」より 
(2018年3月14日公開)  
 

 ★「アスキス氏とホールデーン卿」  熊谷彰訳と訳者解説
    (第一次世界大戦における英国の参戦は1914年8月4日、停戦は1918年11月、『最後の挨拶』発表は1917年9月)
   ハーバート・ヘンリー・アスキス
   英国首相1908年4月-1916年12月
   爵位のオックスフォード=アスキス伯爵は1925年に授与されているで
   1924年刊行のドイル自伝での肩書きはMr.です。

   ホールデン卿 リチャード・B・ホールデーン
   陸軍大臣Secretary of State for War
   1905年12月-1912年6月
   大法官Lord Chanceller
   1912年-1915年

 
     私が知りあった他の政治家たちに心を向けると、アスキス氏の優しい人柄が記憶に現われる。一度、彼とゴルフをしたのを覚えている。ゴルフは非常に不得手だったが、コースを回りながら交わした会話は好スコア(プラス・フォー)であった。生来親しみやすい人物だったが、あの穏やかな人柄の下には、歴史の大きな危機に示された判断力と決断力が潜んでいた。決して多くを言わなかったが、口にしたことはやり遂げた。あの戦争の最初の二年間にアスキスは、我々を無事に導くために十分には信用されていなかった事をした。その後、多くがわかるにつれて、軍需の仕事から他の色々な事柄まで、人間ができうる限りのことを本当になし遂げたのがキッチナー卿とアスキスの二人だったことが、いよいよ明らかになった。堅実、鈍重なヨークシャー人だったから、もっと神経質で激しやすい人々はアスキスには戦争への真剣さが足りないと考えた。また、夫人に親ドイツの傾向があるという絶え間ない嘘も悪印象を強めた。ホールデーン卿を別にすれば、我々が他の誰より償わねばならない人物はアスキスである。

   

 ホールデーン卿への負債はまったく重大である。もし勝利に絶対必要だった人物をひとりだけ挙げるとすれば、それはホールデーンである。鞘(さや)からすばやく抜き出され、予定の進路をがむしゃらに突進してきたドイツ人が、その胸に突きつけられているのを見て仰天したあの素晴らしい武器を、そっくり集めたのはホールデーンだった。彼には奇跡は起こせなかった。候補者が選挙綱領に掲げたら演壇から追い出されたであろうその時期に徴兵制を導入することはできなかった。防ぐ可能性が残されているときに、まさにその衝突を早めたであろう何らかの劇的な方策を大衆の心に準備させることもできなかった。
  けれども、我々が持つすべてのものは彼が与えてくれた。フランスを救った八個師団。新陸軍の準備ができるまで良い仕事を続けた国防義勇軍。致命的な弱点になりえた個所を強化した将校養成団。ホールデーンに向けられた叫びほど愚かで恩知らずな非難はこれまでなかった。私がロンドンで最初の戦争講演をしたときにホールデーンは議長を務めてくれた。そのとき、聴衆中の主に女性たちから「裏切り者」という声があがったことを覚えている。私はこの講演の以前も以後もホールデーンに会わなかった。したがって、この件に私的偏見は抱いていない。けれども1915年に『戦史』第一巻を出したとき、当時は不人気だったが今ではもっと十分に受け入れられている見解を最初に唱えたことは私の誇りである。


   

 ★解説:アスキス氏とホールデーン卿

 ドイルが二度目に落選した1906年1月の下院議員選挙では英国自由党が大勝し、政権に返り咲いた。自由党指導者ハーバート・アスキス(1852-1928)は1908年4月に首相となり、1916年12月までその地位にあった。アスキス政権下で陸軍大臣と大法官をつとめたのがリチャード・ホールデーン(1856-1928)である。
 アスキス政権が続く中、1914年8月に第一次世界大戦が勃発した。ドイルはこの部分で、主に2人の政治家と第一次大戦との関わりを回想している。
 戦争はじめの頃に自由党は「通常業務(business as usual)」方針をとり、単独政権を続けた。けれども戦争は長期化し、1916年12月にロイド-ジョージ率いる挙国一致内閣ができあがる。
 自由党単独政権による戦争準備と指導には激しい批判が湧きおこったようだが、ドイルは対立政党から国政へ挑戦していたにもかかわらず、この部分で2人の政治家を擁護している。
  また、自伝の執筆前である1917年9月号のストランド・マガジンに掲載した『最後の挨拶』ではドイツとの開戦が近い将来ありえると考えた当時の首相、つまりアスキス首相が直々にシャーロック・ホームズにドイツのスパイ組織を混乱させる依頼をさせていることは、戦争準備の不足という理由で退陣を余儀なくされたアスキス前首相への党派を越えたエールと言えるだろう。これらはいかにもドイルらしい態度である。
 ドイルは1916年秋に心霊主義者としてカミングアウトした。政治家との交流の回想は、その直前で終わっている。


   
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