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毒物としてのゲルセミウム |
アーサー・コナン・ドイル 熊谷 彰訳
(中略) 自分でも飲んでしまう」 ---スタンフォード『緋色の研究』日暮雅通訳---
ところが最近、相当量の新鮮なチンキ剤を実験のために使える機会をえた。そこで、人間はどこまでゲルセミウムを取り入れられるか、過量服用の主要症状は何かを確かめようと考えた。ゲルセミウムの生理学的作用に影響しうる煙草や他の化学薬品を避けながら、私は連日だいたい同時刻にそれぞれ決めた量のチンキ剤を服用した。
以下が、そのとき書き留めた実験結果である。
月曜日に40ミニム、火曜日に60ミニム取ったときには、どんな影響も現われなかった。水曜日には10時30分に90ミニム服用した。10時50分に椅子から立ち上がると極度の眩暈と四肢の筋力低下におそわれた。しかし、どちらの症状もすぐに消え去った。このときは吐き気も他の影響も感じなかった。脈拍は弱いが、正常だった。
木曜日は120ミニム取った。昨日と同じ眩暈がしたが、ずっと穏やかだった。けれども午後１時頃に外へ出ると、はじめて遠くのものに目を合わせるのが難しいことに気がついた。意識的な努力が欠かせなくなり、実際問題として顔をしかめなければいけなかった。
金曜日には150ミニム服用した。量を増やすにつれて著しい生理学的症状はむしろ消え失せた。この日、眩暈はほとんど感じなかった。だが、前額部がはげしく痛み、下痢と全身に倦怠感が生じた。
土曜日には３ドラム[＝180ミニム]、日曜日には200ミニムを取った。下痢が収まらず、体が衰弱したので、200ミニムで止めなければいけなかった。気分が大きく落ち込み、前額部がひどく痛んだ。脈拍は依然として正常なものの、弱かった。
これらの実験から私は次の結論を引き出したい。
| 1. |
75ミニムが致命的だと以前のある記録には記されているが、健康な成人であれば90ミニムまで何の問題もなく服用できる。 | |
| 2. |
90から120ミニムまで服用すると、ゲルセミウムは運動麻痺剤として一定程度作用するようであり、無力感、眩暈、毛様体筋の部分麻痺が生じる。 | |
| 3. | 120ミニムを越えると頭痛がおきて、下痢や極度の倦怠感がともなう。 | |
4.
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人体組織は徐々にゲルセミウムに慣らしていけば、阿片同様、耐性が生じうる。激しい下痢がおきなければ半オンス[≒240ミニム]までチンキ剤を服用できただろうと私は確信している。 |
真実として、敬具 Ａ.Ｃ.Ｄ
バーミンガム、アストン・ロード、クリフトン・ハウス
正倉院の種々薬帳に見える薬物の一つ、冶葛（やかつ）にあたる。フジウツギ科ゲルセミウム属植物。神経痛、皮膚病にも効くが、毒性が強い。
「世界最強の植物毒」と呼ばれるが、ドイルが飲んだのは〈チンキ〉なのでアルコールに漬けたもの。同じ科のマチンに含まれるストリキニーネは熱湯にはよく溶け、アルコールには少しだそうなので、ゲルセミウムチンキも煎じ薬よりは毒性は弱かったかもです。(渡邉利枝子）
『英国医学雑誌(The British Medical Journal)』1879年９月20日号に「毒物としてのゲルセミウム(Gelseminum as a Poison)」と題するドイルの投稿が掲載された。これはその投稿の全訳である。翻訳テキストには総合ドイル研究サイト’The Arthur Conan Doyle Encyclopedia’に引用された原文を用いた。
ドイルは1879年６月はじめからイングランド中部バーミンガムにあったレジナルド・ホーア医師の医院で住み込み助手として働き出した。仕事のかたわら、化学物質ゲルセミウムが人体に与える影響を自分の体を使って実験した。その結果をまとめたのがこの投稿である。『ドイル書簡集』を見るとドイルはホーア医院から出した手紙で母親に、実験結果を『英国医学雑誌』へ送ったが掲載してくれるとは思わない、と言っている(日本語版pp.126-7)。しかし、単語数約450語のささやかな投稿だったものの、めでたく名門医学雑誌に掲載された。
ちょうどこの頃、『チェインバーズ・ジャーナル』1879年９月６日号にドイルの短編小説「ササッサ谷の怪」が掲載された。これが初めて商業雑誌に載ったフィクションだったから、ドイルは同時期にフィクションと医学論考の両面で文筆家デビューを果たしたことになる。その意味で、たいへん興味深い投稿である。
原文をさらにいくつかの段落に区切った。[ ]内は他の液量単位を訳者の責任でミニムに換算した。
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