「あのジェファスン・ホープ事件ぼくのやり方はすこしはわかってもらえたと思うがね」（ホームズ）。「そう、よくわかったよ」（ワトスン）わたしはすなおに認めた。「あれほ　ど感銘を受けたことは今までになかったね。だから、《緋色の習作》という少々風変わりな題名をつけて､小さな冊子にまとめたというわけだ」（ホームズ）。「君がこの事件の糸口を見つけていく方法を見ていると、ぼくは、ジェファースン・ホープによる殺人事件の時よりも、さらに感心してしまうよ」（ワトスン）。

「君は、刑事警察のベイカー街支隊というのを覚えているかい？　ジェファースン・ホープ事件で雇った仲間さ」（ホームズ）。　　

一連の奇妙なできごと──《四つのサイン》という表題をつけ、そこで大胆な語り口を用いて物語った､あの事件以降、わたしはほとんどホームズに会っていなかった（ワトスン）。わたしは、妻に結婚を申し込んだ時のことや、《緋色の習作》事件の悲惨なできごとを思い出させる、あの、忘れようとしても決して忘れられないベイカー街のドアの前を通った時、ぜひともホームズに会ってみたくなった（ワトスン）。

「ホームズさんには、（略）まあ探偵の素質はある。ショルトー殺しとアグラの財宝事件〔《四つのサイン》のこと〕でのように、一回や二回は、警察当局よりもいい線をいったこともあるしね」（ピーター・ジョウンズ警部）。

「メアリ・サザランド嬢が持ち込んだ、あの非常に単純な事件〔《花婿失踪事件》のこと〕のすぐ前のいつだったかに、ぼくがこんなふうに言ったことを、覚えているだろう」（ホームズ）。〔矢印の方向が《赤毛組合》よりもあとに起こった《花婿失踪事件》を指してているように見えますが、じつはこれは《花婿失踪事件》よりもあとに書かれた《赤毛組合》が、出版社のミスにより先に発表されてしまったために生じた現象であります。《花婿失踪事件》の発生年月は物語のなかで明らかにされていませんが、《赤毛組合》におけるホームズのこのせりふによって、それより以前だったことがわかります。〕

「これは、あのアイリーン・アドラーの文書事件〔《ボヘミアの醜聞》のこと〕を援助したことへのお礼に、ボヘミア国王から贈られたちょっとした記念品さ」（ホームズ）。

　彼が失敗したのは、わたしが知っているかぎりでは、ボヘミア国王とアイリーン・アドラーの写真の事件、一度だけである。そして、あの不気味な《四つのサイン》事件や《緋色の習作》事件にかかわる、並はずれて奇妙な出来事を思い出すと、彼に解決できない事件があるとすれば、それはよほど変わった、もつれた謎にちがいない、という気持ちになってきた（ワトスン）。

「関心をなくしては恩知らずというものだろう。その事件の一つのおかげでわたしが手にいれたものを考えればねえ」〔ワトスンが《四つのサイン》事件で妻メアリ・モースタンを得たことを言っています〕。

アフガニスタンの戦場でキャンプ生活をした経験が、わたしを旅行の準備には時間がかからない人間にした。〔ワトスンの記述で《緋色の習作》を指しています〕

「ねえ、ワトスン、ぼくたちが手がけたどの事件も、今回ほど異様に思えるものはなかったね」（ホームズ）。「まあ、《四つのサイン》は別だろうけれどね」（ワトスン）「そうだ。おそらくあれ一つくらいなものだ」（ホームズ）。

「ぼくたちが知り合ってまもない頃に、ぼくの知識の範囲について、君はずいぶんきちんとした一覧表を作ってみせてくれたじゃないか」〔ホームズは《緋色の習作》のことを言っています〕。

「最近ぼくが事件記録に書き加えた六つの事件のことを考えてみても、そのうちの三つは、法律的にみれば犯罪ではなかったからね」（ワトスン）「そのとおりさ。君が言っているのは、アイリーン・アドラーの文書取り戻し事件〔《ボヘミアの醜聞》〕と、メアリ・サザランド嬢の奇妙な事件〔《花婿失踪事件》〕、それに、唇の捩れた男の事件のことだね」（ホームズ）

「ボヘミア王を助けたささやかな事件、メアリ・サザランド嬢の奇妙な経験、唇の捩れた男の事件、花嫁失踪事件は法律のわく内に入らないものだ」（ホームズ）

「君が《緋色の習作》や《四つのサイン》としてまとめ上げてくれた事件の調査で使ったのと同じように、今度の事件も、結果から原因を割り出すという逆向きの推理をするように迫られたものの一つだった」（ホームズ）

ワトスンは一八九三年二月に発表した《黄色い顔》で「時として、ホームズが失敗しても、事件そのものの真相が明らかになる場合もあった。わたしは、その種の事件記録を五､六例持ってはいるが、そのうちでは《第二の汚点》事件と、これから語る事件との二つが、特別に興味深いものであろう」と述べていますが、ここに出てくる《第二の汚点》の発生時期は、人によって見解が分かれていて、おおむね一八八六年から一八八九年、もっとも遅いＨ・Ｗ・ベル説では一八九四年頃とされています。したがって一八九四年説を除けば、《黄色い顔》のなかで《第二の汚点》を過去の事件として述べたことに時間的な矛盾はありません。しかし、《黄色い顔》が「ストランド・マガジン」誌に初めて掲載されたときには、この部分は《第二の汚点》ではなく、それより以前の事件である《マスグレーヴ家の儀式》となっており、それが単行本になるときに《第二の汚点》に差し替えられているのです。《第二の汚点》にしても《マスグレーヴ家の儀式》にしても、問題は時間的な矛盾にあるのではなく、ワトスンがこれらをホームズが失敗した例として挙げていることであります。われわれの知っているこれらの物語はホームズの失敗談ではないので、ここに出てきた《第二のしみ》というのは表題は同じでも、われわれのまったく知らない別の話ではないかと思われます。

時々、コカインを手にすることを除けば、ほかになんの悪い習慣もない。そのコカインにしても、事件がなくて、新聞にも全く興味を引く記事がない時の、暇つぶしに手を出すだけだった。〔ホームズのコカイン使用に関するワトスンの表現は《四つのサイン》に比べて､穏やかになっています〕

「いや、ワトスン、君に会えて、非常に嬉しいね。奥さんも、《四つのサイン》事件の時のあのちょっとした騒ぎからは、すっかり立ち直っておいでだろうね？」（ホームズ）

わたしの『回想録』のどこかで〔実際には《緋色の習作》の第二章で〕すでに書いたとは思うのだが、ホームズは、自分の名がついてまわるような有名な事件を解決するために、活動的エネルギーを使い果たしてしまう。（ワトスン）

　「君が、ぼくを初めて知って、《緋色の習作》という題で事件を記録した頃にも、ぼくの名声はかなり高まり､もうかる話はなかったけれど依頼人はあった」（ホームズ）

「君にも話したことのある、《グロリア・スコット号》の事件で､不幸な人物と交わした会話がきっかけで、ぼくは現在では天職と思っているこの仕事のほうにはじめて注意を向けることになった」（ホームズ）。

わたしが《緋色の習作》と題した事件記録と、その後に発表した《グロリア・スコット号》という二つは、彼の伝記作家を悩ませる、怪物のシラとカリブディスのようなもので、事件は珍しくても、ホームズの役割が不十分だった（ワトスン）。

ワトスンは一八九三年一〇月から一一月にかけて発表した《海軍条約文書事件》の冒頭で「わたしが結婚した直後の七月は、興味深い事件が三件もあって、忘れがたい月となった。（略）この三件は、私のノートには、《第二のしみ》《海軍条約文書事件》《疲れた船長の事件》という表題で記録されている。しかし、第一の事件は、非常に重大な利害関係を扱った、英国の上流家庭に幅広くかかわる事件であるため、今後長い年月を経なければ、公表は不可能だろう。（略）パリ警察のデュビック氏とダンツィッヒの有名な探偵フリッツ・フォン・ヴァルトバウム氏を前に、ホームズが真相を明らかにしていった会見の模様を（略）書き留めた記録を、わたしは今でも保存している」と述べていますが、《黄色い顔》でホームズの失敗例として挙げられている同じ題名の事件とも、『シャーロック・ホームズの帰還』所収の同名の事件──ここではフランスやドイツの探偵たちに事件の真相を語る場面はない──とも異なる事件のようであります。

「なにしろ時間が長く感じられました｡──ワトスン、ほら、《まだらの紐》のあの小さな事件を調べていた時、あの恐ろしい部屋でずっと待ち続けたね、あの時と同じくらい長かったよ」（ホームズ）。

「太陽が地球の周りを回っていようが、地球が太陽の周りを回ろうが、君はまったく無関心だったことを、ぼくは今でもよく覚えている」〔ワトスンは《緋色の習作》の第二章でホームズが「ぼくたちが太陽の周りを回っているというけれど、月の周りを回っていたとしても、ぼくにも、ぼくの研究にも影響はない」と言ったことを思い出し、少し間違えて表現しています。〕

「あそこからは苦もなく脱出できたのだ。理由は簡単。ぼくはそこには落ちなかったのさ」（ホームズ）。

「落ちなかったって？」（ワストン）。

「そう、ワトスン、落ちてはいなかったのだ」（ホームズ）。

〔以下、《最後の事件》の真相についてホームズの説明が続きます。〕

長くうねる暗いテムズ河と、荒涼とした湿地帯の上に冷たい冬の日が昇り、わたしたちが一緒に暮らし始めた頃、アンダマン島の住人を追跡したことが思い出された（ワトスン）。

《アビ農園》事件の物語を最後に、わが友シャーロック・ホームズ氏の事件記録を発表するのを、わたしは中止するつもりだった（ワトスン）。

「たとえば、あの赤毛の男の事件を思い出してくれたまえ。発端は、ただ単にグロテスクなだけだったが、最後の結末はというと、大金を強奪しようとする、とんでもない大犯罪になってしまった。《オレンジの種五つ》のケースも同じで、始めは極め付きのグロテスクなできごとだったが、すぐに恐ろしい暗殺計画に発展してしまった」（ホームズ）。

「ところで、君はマイクロフトのことを知っていたかね」（ホームズ）そう言われれば、私には《ギリシャ語通訳》事件の時に、説明を受けたような記憶がある（ワトスン）。

「あなたのいとこのハインリッヒが宮廷の特命全権公使を務めていた頃に、アイリーン・アドラーと故ボヘミア王をうまく別れさせたのは、わたしだ」〔ホームズがスパイのフォン・ボルクに〕。

現われたのは、部屋着をはじめとして何もかもすべてホームズと寸分もたがわぬ、人形であった｡（略）「前にも一回、似たようなものを使ったことがあったが」（ワトスン）。

「《ぶな屋敷》と名づけて、刺激的な君の筆さばきで描いたあの事件で、ぼくが、子どもの心理観察をとおして、きわめて上品で堅実そうな父親が犯罪を犯しているという推理を組み立てたのを君も覚えているね」（ホームズ）。

「グロリア・スコット号の航海。いやな話だった。たしか、ぼくの記憶によれば、君はあの事件を記録してくれたけれど、出来ばえはほめられるものではなかったね」（ホームズ）。

その頃、私はわが友ワトスンが「アビ学校事件」として記録したグレイミンスター公爵が深く関わった事件を調査していた（ホームズ）。〔この「アビ学校事件」は一応『シャーロック・ホームズの帰還』所収のホウルダネス公爵が深く関わった《プライオリ学校》の事件のことでであろうという説に基づいていますが、「シャーロック・ホームズ大事典」の「アビとプライオリ」の項（執筆　中津十三）によれば、アビは大修道院を、プライオリは小修道院を意味し、どちらも修道院と公爵がからむ共通性が認められるものの、これだけで同じ事件と断定するのは、いささか性急の感を免れないとしています。なぜなら、取りつぶされた修道院は８０００個所以上あったので、アビやプライオリを名乗る学校も一つではなかったと考えられるからであります〕。