シャーロッキアンの果てしなき冒険　 by 水野 雅士 第３章 女性群像　4. 下宿屋の女将(おかみ） 　2) その他の女家主 　上に述べたように、ホームズが「ロンドン一ひどい下宿人」であるにもかかわらず、家主のハドスン夫人が心服し、また彼女もホームズの信頼をかちえたので、二人の間には長期間良好な関係が続きましたが、ハドスン夫人以外の下宿屋の女主人たちは、それぞれに悩みを持っていました。 　まず《緋色の習作》のシャルパンティエ夫人はトーキー・テラスに下宿を構えていましたが、そこに三週間泊まっていたアメリカ人のイーノック・ドレッバーが、彼女の娘アリスに無理やり結婚を申し込み、力ずくで抱きしめようとしたので、ちょうど休暇中で家に帰ってきていたアリスの兄で海軍中尉アーサーがステッキでドレッバーを叩き出しました。そして「もう面倒は起こさないだろうが、どうするか見届けておこう」と言ってドレッバーのあとをつけていったところ、運の悪いことに、その夜ドレッバーが不可解な死をとげたため、息子アーサーは容疑者としてグレグスン警部に逮捕されてしまったのであります。　 　次に《ボール箱》という事件の発端は、クロイドンのクロス街に住むミス・スーザン・クッシングのもとへ郵便小包で切り取られたばかりの人間の耳が二つ塩漬けにして送り届けられるという不気味なものでありました。彼女は数年前、ペンジに住んでいた当時、自宅の教室を三人の若い医学生に間貸ししていたことがあり、そのとき学生らが日頃の騒がしくて不規則な習慣を改めなかったため、この三人を追い出さざるをえないことがありましたので、警察の見方は当初、この時の若者らの仕返しがミス・クッシングにおよんだのではないかというものでありました。 　《恐怖の谷》の舞台は「スコウラーズ」という無法者の結社が牛耳る町ヴァーミッサであります。これはアメリカ合衆国ペンシルヴァニア州に実在した移民アイルランド人炭鉱労働者を中心とした結社「モリー・マガイアズ」をモデルとしたものでありますが、無法者の集団として描かれているこの結社を壊滅させるためにヴァーミッサに乗りこんできたマクマードというヒーローが下宿したのが、町外れにあるマクナマラ未亡人のところだったのです。 　 スーザン・クッシング （シドニー・パジェット画） 《ボール箱》より 　彼女は年寄りののんきなアイルランド人で、あれこれうるさいことは言いませんでしたし、物語のなかには、彼女が遭遇したトラブルが具体的に出てくるわけではありませんが、荒くれ男たち相手の下宿屋商売にはそれなりの苦労はあったと思われます。 　《赤い輪》のウォレン夫人も《覆面の下宿人》のメリロウ夫人も、いずれも様子がおかしい下宿人を抱えていて、前者は気味が悪くなったので、後者は下宿人がホームズに会いたいと強く希望するので、ホームズに相談したのですが、前者については、イタリアの赤輪党という秘密結社が絡む殺人事件へと発展し、後者についてはホームズが一人の女性の魂を自殺の淵から救い出すこととなったのであります。