シャーロッキアンの果てしなき冒険　 by 水野 雅士 第３章 女性群像　7. 貴族──働かなくてもよい階級のご婦人たち 　 　3)　メアリ・ブラックンストール夫人　 　《アビ農園》のヒロイン、メアリ・ブラックンストール夫人も貴族であります。ホームズとワトスンは、スタンリ・ホプキンズ警部の要請でケント州のマーシャムにあるアビ農園というところへ出向きましたが、そこはケント州でも指おりの金持ちのサー・ユースタス・ブラックンストールの屋敷でありました。屋敷の主人サー・ユースタスは食堂で火かき棒で頭を割られ惨殺されていたのです。その傷心の妻についてワトスンはこう述べています。 「レイディ・メアリ・ブラックンストールは並みの女性ではなかった。あれほど姿形が優美で女らしく、美しい顔立ちの女性はめったに見たことがない。色白で、金髪(ブロンド)、目は青く、昨夜の事件で疲れはててやつれてはいたが、そうでなければ、顔の色つやも、髪の毛や目の色によく合う完璧なものだったろう」と。 　また彼女自身はホームズにこう語りました。 「わたしはサー・ユースタス・ブラックンストールの妻です。結婚して一年ほどになります。わたしどもの結婚が幸福なものでなかったことを隠しても、どうにもならないでしょう。(略)　わたしは南オーストラリアの、もっと自由で、習慣に縛られない環境で育ちましたので、このような儀礼的で取り澄ましたイングランド風の生活は性(しょう)に合いません。ですが、うまくいかなかった主な理由は、どなたもご存知だったように、サー・ユースタスが手のつけられない大酒飲みだったからなのです」 　それに続けて、彼女は昨夜三人組の悪漢に襲われたときの状況を詳しく語ったのです。それからホームズは現場を調べ、残されていた三つのワイングラスにちょっとした不審を抱きますが、結局は最近あちこちを荒らしまわっている強盗団の仕業に違いないという警察の見解を受け入れて、帰途につきました。帰りの汽車のなかでも、使用された三つのワイングラスのうち一つだけにワインのおりが残っていた理由を考え続けていたホームズは、ついに事件の真相を見破り、ブラックンストール夫人から聞いた話はよくできた作り話であり、彼女が誰かをかばおうとしていることを確信するにいたります。この《アビ農園》は、ホームズがみずからの倫理観に基づく判断によって犯人を見逃す話であることは、すでに第１章の「10. ホームズの情熱」の末尾や本章の「6の3）ティリーザ・ライト」の項で述べたとおりであります。 「わたしとしては貴方にたいへん同情しますよ」(ホームズ） 　(シドニー・パジェット画） 　《アビ農園》より