岡本鶴松(註１)著『異国の華を尋ねて』(１９２７年刊行)より　　タイプと註：関矢悦子　協力：熊谷彰

　目下欧米に於て霊の力を研究することが大に流行している。これは今日に初ったものではないが世界大戦が人心に及ぼした影響の一として人間はますます霊界の研究に没頭して来たのである。霊の力の研究は種々あるが最も盛んに研究されているのはスピリチュアリズムである。スピリチュアリズムとは死者と生者と又は生者と生者と霊の交通が出来るという信仰であって、又之を実地に応用するものである。昔は重に無学の人間の間に行われた。日本でも巫子(いちこ)の口寄せというものがあった。又「おこっくりさん」というのも要するに霊の力を応用したものである。最近に至っては此霊界の研究が漸次智識階級の間に行われている。英国の有名な探偵小説家として、日本の英学生に知られている(註３)コナン・ドイルの如きは最も熱心なスピリチュアリストであって彼は今や全く之に改宗して終った。彼はますます此霊界の研究を積もうと思って欧州行脚を企てた。彼は之に関する二三の著書(註４)があるが其書物の中に人間は或方法を似てすれば死者と交通する事が出来ると言って自らの実験談を述べ、亡者の霊が死後の模様を詳しく自分に語ったことを告白している。之が為め倫敦の新聞はコナン・ドイルは狂人になったかという表題を掲げてコナン・ドイル論を書いたこともある(註５)。又彼は屢々突飛な予言を為して世界を驚かした事はその都度外国電報で報道された通りである。スピリチュアリズムは頭脳の緻密な科学小説家で而かもアングロ・サクソン特有の常識を多分に持っているところのコナン・ドイルによって信仰され、又先頃死んだ仏国の有名な天文学者フラムマリオン(註６)のような科学者によって信ぜられるに至って大にその権威を高めたのである。
　スピリチュアリズムの教える所によると人間の霊というものは時間と空間とを超越している。例えば人間は幾万里を隔てていても同時に思想の交通が出来る。又将来の出来事を夢、その他の方法によって知る事も出来る。故に霊には時と空とがない。人間の霊というものは不可思議な働きを為すものだが生半可の知識ある者は反って之に累されて霊の働きを知る事も出来ないし、又之を発達せしめる事も出来ない。これ昔から学問のない階級の者が多く之を信仰した所以である。今や知識階級殊に科学者の中に研究家及び信者を発見するに至ったのは大に面白い現象だと思う。霊の存在を認める事は神又は超自然を認める前提である。
　此霊の力を極度に発達させ、応用した者はキリストである。彼の行った奇蹟(きせき）というのは此霊の力の応用に過ぎない。故にキリストの奇蹟を以て荒唐無稽の伝説なりとなす者は、未だキリストの人物を知らないのである。キリストの偉かったのは此霊の力があったからである。彼として此力を持っていなかったなら平々凡々の人間であって、決してキリスト教がこれ程迄に世界的になりはしなかったろう。
　コナン・ドイルは羅馬加克 ［ローマカトリック］教の家に生れ厳格な旧教の訓練を受けたのであるが、長ずるに及んでその教理をその儘受け容れる事が出来ないで之に背いたのであった。彼が何うしても承認出来なかった教理は人間は生れながらにして罪の子である、之に対し贖罪の責があるという点である。コナン・ドイルの不審とするのは人間が直接責任のない罪を贖わなければならぬということである。キリスト教の所謂邪教ですら贖罪のような不合理な教理を有しているものは一つもないというので遂にキリスト教を去った。キリスト教を棄てても彼は神を信仰する念は毫も薄らいだのではない。然し最初は永生を信ずることが出来なかった。彼思えらく霊は畢竟脳から生ずるものであろう、脳に異常を来せば聖人も罪の人になる。酒類や薬剤は霊を自由にする。即わち人間を喧嘩好きにもすれば親切にもする。だから心というものは物質から生じたものではなかろうか。しからば物質が分子に分解した後迄も心又は霊が生存するとは思われないと。コナン・ドイルは斯の如き懐疑を以て永生を信じなかった。然るに心と心の交通即わちテレパシーを経験するに至って彼の宗教観は一変した。人間の脳が遠距離に在る人間の脳へ自分の考えた事を伝えることが出来るという事は物質的でなくて霊的の何物かが存在するに相違ない。かくてコナン・ドイルは遽かに霊の研究を初めた。彼の研究は次第に進み一九一六年即わち世界大戦の酣なる頃殆んど完成に近づいた。左に彼が告白の一節を掲げる。(新漢字、新仮名遣いに直してあります）

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