地下鉄環状線の南西部に位置するヴィクトリア駅は、イングランド南部および南東部への起点であり、ホームズ物語では頻繁に登場する駅の一つであります。ホームズとワトスンはヴィクトリア駅を出発して《黄色い顔》《ボール箱》事件ではそれぞれサリー州のノーベリとクロイドンへ、《恐怖の谷》《サセックスの吸血鬼》《黒ピータ》事件ではそれぞれサセックス州のバールストン、ランバリー、ウッドマンズ・リーへ、そして《最後の事件》ではヨーロッパ大陸へと向かいました。また《黄色い顔》のノーベリについては、物語のなかにどこから乗ったという記述はないのですが、ロンドン橋駅からも行けるので、その可能性も否定はできません。《恐怖の谷》では、ホームズとワトスンのほかに、事件担当のマクドナルド警部が加わって三人いっしょに列車に乗り込んでいます。
　さらに《最後の事件》におけるホームズとワトスンの大陸行は事件の調査ではなく、悪の帝王モリアーティ教授一味の魔手から逃れるための逃避行でありました。そのほか《白銀号事件》では、ハンプシャー州のウィンチェスターで事件を解決したホームズが、ワトスンや事件当事者のロス大佐と一緒にプルマン・カーでロンドンに戻ってきますが「どうやらクラパム・ジャンクション〔乗換え駅〕ですね。おそらく、あと十分ほどでヴィクトリア駅に着くでしょう」というホームズのせりふが出てきます。また、「第６章「2.3） テムズ河右岸（ロンドン南部）」でも触れましたが、《ギリシャ語通訳》で通訳のメラスが秘密の場所で通訳の仕事を終えると、窓を遮蔽した馬車に乗せられてあちこち引き回されたあげくに見知らぬ場所で降ろされたので、通りがかった鉄道員の赤帽に「ここはどこでしょうか」とたずねると「１マイル〔1.6キロメートル〕かそこら歩くと、クラパム・ジャンクション駅です。たぶんヴィクトリア駅行きの最終にまにあうでしょう」という答えが返ってきたのでした。