《白衣隊》の内容紹介

《白衣隊》の「内容及び史実」についての解説と感想


　 コナン・ドイルは先に書いた歴史小説《マイカー・クラーク》への批評家たちの好意的な書評に励まされて、今度はもっと大胆で、もっと野心的な内容で飛躍をするために準備を始めました。自伝に歴史小説は「多大な研究を要し、わたしは今も、あらゆる種類の知識でいっぱいの何冊もの備忘録を持っている」と書いているように１８８９年の前半は中世に関する本を参考資料として読んでいたのです。
　そして１８８９年８月１９日から書き出したのですが、８月３０日ロンドンでも高級なホテルのランガム・ホテルでの夕食会でリピンコッツ誌からシャーロック・ホームズが登場する作品の依頼を受けたので、９月３０日脱稿及び発送までの一ヶ月と、１２月には戯曲『暗黒の天使』の執筆、翌１８９０年１月１３日にポルトガルで家庭教師をしてドイル家の生計を助けていた姉アネットが亡くなり、《白衣隊》の執筆はとぎれとぎれになりましたが、妹ロティ宛の７月１５日付けの手紙には「生みの苦しみを終え、ついに《白衣隊》が完成した」と書いています。
　そして自伝には「《白衣隊》の最後の言葉を書いたとき、歓喜がこみ上げてくるのを感じ『うまくいった！』と叫びながらインクのついたペンを部屋の向こうに投げると、アヒルの彩色の壁紙に黒い染みがついたことを覚えている」と記しているほど完成を喜んでいます。
　この《白衣隊》は『コーンヒル』誌のジェームズ・ペイン編集長の歴史小説観-----最初の歴史小説《マイカ・クラーク》に対して「どうして、どうして歴史小説なんぞ書いて、時間と才能を消費するのだ」と言っていた-----つまり、歴史小説嫌いのペイン編集長でも納得できる出来映えで、掲載料２００ポンドで翌１８９１年の１月号から１２月号まで『コーンヒル』誌に連載されたのでした。単行本は１０月に三巻本(価格は３１シリング６ペンス）として刊行されたのですが、自伝を書いた１９２４年頃までには５０刷という息の長い売れ行きをしています。
　そしてコーンヒル誌１２月号には『フランスにおける決闘』という実話ものを掲載していますが、コナン・ドイルは１８８９年《白衣隊》を書くにあたって６０冊以上の参考資料を読み小説の背景となる歴史を勉強していたので、この作品は《白衣隊》の副産物の可能性もあります。
　さて、《白衣隊》がコーンヒル誌に掲載が決まってからは校正刷りのチェック、一年前に書いた戯曲『暗黒の天使たち』(「《四つの署名》の文学研究的な解説と感想」を参照)の手直しをしていました。
　また、１０月には医師会の重鎮、そして首席裁判官という、英国そして米国でも知られている人物二人から《緋色の研究》と《四つの署名》を書いたコナン・ドイルへ「作品と作家本人に特別なものを見出したこと」そして「ミスター・シャーロック・ホームズについてもっと読みたい」と書いたファンレターが送られて来ています。《白衣隊》を書き終えたコナン・ドイルの心の中には「シャーロック・ホームズ」の名前が強く意識されていたと思います。

　さて、念願の歴史小説を書き終えたコナン・ドイルですが、突然というか唐突な行動としか言えないのですが、１１月１６日にコッホの「結核の確実なる根本療法」---新聞からの情報---の実証講演を聞くためベルリンに向かったのです。この時に列車の中で出会ったロンドンの開業医マルコム・モリスから「田舎で埋もれて狭い活動圏のなかで生涯を空費」していると指摘され、母親に犠牲を払わせてものにした医業と文学を両立する方法として一般医をやめて専門医になることを勧められたのでした。

　以上のこととポーツマスを離れるまでのことを箇条書きにすると次の表になります。

　 このように１８９０年７月に《白衣隊》を脱稿したあとのコナン・ドイルは一般開業医ではなく、１８８８年頃から計画をして実習を積んでいた眼科外科医になりロンドンでの開業をするための準備として、ウィーンでの勉強をするためポーツマスの医院を閉めるという大きな決断をしたのです。
　　仕事も家庭も安定期にあった１８９０年１１月１６日に突然ベルリンに行ったのは、ぬるま湯的安定した生活にどこかで物足りなさを感じていたので「はっきりとした理由」はなかったけど心の中で爆発した結果かも知れません。
　
　また、ベルリン行きの列車内で知り合ったロンドンという大都会で生活している開業医マルコム・モリスの言葉は、田舎であるポーツマスの友人たちからは得られない魅力を感じたのでしょう。
　 もしかしたらポーツマスで開業をするきっかけを作り、医院を開業したあとに失敗をさせ、コナン・ドイルを破滅させよう企んだジョージ・バッドが３４歳という若さで１８８９年２月に亡くなっているので、ポーツマスでの開業を止めても悪い言葉ですが「ざまあみろ」とバッドから貶されることがなくなった(注１) 、またはバッドを見返すため頑張っていた開業医の仕事に対してのモチベーションが下がったのかも知れません。
　本人も確としたことが判らないまま ８年前に資金も伝手もないポーツマスに来た時と同じように、頭の中だけにある計画と妻子そして数百ポンドの貯金だけを持ったコナン・ドイルは、癖と言うべき「結果を顧みない無謀なこと」を始めたのでした。



(注１）
　ピアソンは伝記の「第４章　ドクター・ドイル」に友人だったジョージ・バッドは解雇したコナン・ドイルに対して「バッドは１ポンドずつ送るという約束をしてドイルを誘い出し、ドイルにかなり負債ができたところを見計らって見捨てるつもりだったのだ。そうすればドイルは債権者との和議を申請するほかはなくなって、(コナン・ドイルの）母がバッドについて言った『破産した詐欺師』になってしまう」という計画をたてたのではと推測しています。つまり開業をさせて失敗させることを企んだと言うことです。
そしてピアソンは「バッドの悪意はドイルに理解できないものだったが、彼の作品に反映している。色々な作品に出てくる悪者でその行動が同じように根拠のない悪夢のような性質があるのはバッドが元である」とも述べています。(伝記『コナン・ドイル　シャーロック・ホームズの代理人』ヘスキン・ピアソン著　植村昌夫訳)
このバッドとの経緯はポーツマスを離れたあとに執筆された《スターク・マンローからの手紙》 に詳しく述べられています。