(前説に代えて)
　 これまでカーのコナン・ドイルの伝記に収録されていた「家族資料一覧表」(図版１)により存在が判っていた「１８９１年版ポケット・ダイアリー」は１９４３年に刊行されたヘアキス・ピアソンの伝記(邦訳は２０１２年刊行)が直接引用している以外は遺族の相続争いから長年見ることができずピアソンの伝記に頼る以外ありませんでした。この遺族の争いが解決して「１８９１年版ポケット・ダイアリー」が大英図書館の所蔵となり２０１９年３月６日に熊谷彰が閲覧調査してきた結果を「コナン・ドイル“1891 Pocket Diary”閲覧調査報告」と題してアップしましたが、ここでは前年の２０１８年３月にニューヨーク公共図書館バーグ・コレクションに所蔵されているコナン・ドイルの著作権代理人Ａ・Ｐ・ワットの通信記録『レター・ブック』第２５巻の閲覧調査をした内容が１８９１年３月から６月まで、つまりシャーロック・ホームズシリーズの最初の六作品のうち五作品を執筆した時期なので「１８９１年版ポケット・ダイアリー」と「著作権代理人ワット(以下代理人ワットと略)の通信記録)」をリンクさせた年表を作りました。
　さて、１８９１年に入る前に１８９０年１１月からのドイルの行動を簡単に説明すると、ポーツマスのサウスシーで開業医と作家の両立を目指し、診察時間以外の往診をしなくても良い眼科の勉強を二年ほどしていたドイルですが、娘のメアリ(１８８９年１月生まれ)を妻の母親に預け最新の技術と箔を付けるための勉強をヨーロッパでするために１８９１年１月５日に妻と二人でウィーンに到着しています。この決断に至るまでを「《白衣隊(白衣の騎士団)》の「執筆動機」と執筆後の「突発的で無謀とも言える行動」について」　と題して詳しく説明しています。しかし、自伝の第１０章によるとウィーン滞在は「四ヶ月」となっていますが、ダイアリーをみると１月５日ウィーン着そして３月９日にウィーンを出発して３月２４日にロンドンに到着しているので、実際のウィーン滞在は二ヶ月ほどでした。この事実はダイアリーの他に１０年に一度行われる「国勢調査」の公的資料によって４月５日付けで眼科医と申告しているドイルは妻と娘の三人で「モンタギュー・プレイス２３番地」の下宿に住んでいるのが確認できています。また、自伝ではインフルエンザに罹患した後に開業医を止めることにしたと記し、その月は８月だと続けています。これもダイアリーと代理人ワットの手紙により罹患したのは５月、ノーウッドに引越しをしたのは６月２５日であることも確認できています。このように自伝の記述は実際の行動に二ヶ月ほど足して書いてあるので、後の研究者を悩ませているようです。ここでは全体の説明は長くなるので出来ませんが、一次資料である「ドイルのダイアリーと代理人ワットの手紙」の実物を閲覧調査をしても研究者を悩ませる幾つかの事例があるので「年表」をご覧ください。
　年表の前になりますが、ワットに代理人としての業務を依頼したのは前年の１８９０年９月２３日に《１８１５年の落伍兵》を送ってからとされていますが、この原稿の添え状には「《白衣隊》の契約を自分で済ませたこと」を詫び、自分の「短編小説の最近のレートは千語三ギニー(６３シリング）です」と知らせています。しかし、ワットは『ストランド』誌にホームズ・シリーズを持ち込んだときにドイルの原稿料のレートを「千語で４ポンド(８０シリング)と大幅な値上げ交渉に成功しています。 それと、ホームズ・シリーズが『ストランド』誌に採用された直接的な理由や、なぜ７月からの連載になったのかなどが代理人ワットからの手紙によって判明しました。このように著作権代理人(リテラリ・エージェント）という業務を発案したワットの仕事は雑務事務や作家と出版社の単なる取次ではないことが判ります。
　またワットの通信記録がない下半期のホームズ・シリーズの執筆時期についてはドイルの手紙は残っていて『コナン・ドイル書簡集(以下『書簡集』と略)』に収録されているので「ポケット・ダイアリー」と『ドイル書簡集』から見る１８９１年(2)でご紹介しています。
(ここではコナン・ドイル作品は《題名》で表示し、邦題は『コナン・ドイル書簡集』日暮雅通訳に準じています)

　母宛の手紙に「まずはドクターの寛大かつ思いやりあふれる心遣いに、心より感謝したいと思います。でも、その厚意に甘えることは断じてできません。もし、ぼくたちが本当に困窮しているなら、古い友人の力を借りることもあるでしょう。けれども自分たちで切り抜けることができる現状でほかの人の援助を受けるなど絶対にできません(中略)いずれにせよ、ドクターの厚意には心から感謝します」(中略)「清教徒の物語は大作で、今、懸命に書いています」(中略）著作権法案が議会を通過したと聞きました。もしそうなら、ぼくの収入は格段に増えることになるので大歓迎です」(『書簡集』pp.307-308)

《競売ナンバー二四九》、『ハーパーズ』誌

(代理人ワットからコナン・ドイル宛の肉筆手紙)
　ワットは顧客へ出す手紙は二通作成して一通を手元に置いていたので、現在でもニューヨーク公共図書館バーグ・コレクションで所蔵されている実物を閲覧及び撮影が出来ます。詳しくはこちらを参照。

　１８９１年３月３１日
Dear Dr Doyle

　貴殿の本日付のお手紙を受け取りました。一緒に届いた物語を『ストランド』誌へ持って行きます。他の雑誌はいずれも概算７０００語以上を使えないからです。貴殿が続き物を書く心づもりであることと、その売り込みを私どもへお任せになることを確認いたします。(以下省略)」

　ダイアリーへの眼科開業関連の書き込みはこれだけですが、医学生の時に無資格の助手として働いていたバーミンガムのレジナルド・ラトクリフ・ホーア医師宛にロンドンへ来てアドバイスをして欲しいと依頼をしています 。
(下記を参照)　

(代理人ワットからドイル宛のタイプ手紙)

　　１８９１年４月１１日
Dear Dr Doyle

　貴殿の昨日付のお手紙と《花婿の正体“A Case of Identity”》の原稿を一緒に受け取りました。
私が最初のシャーロック・ホームズの物語を『ストランド』誌へ売り込んだことを覚えておいでだと思います。同誌はあの物語を受け入れて、シリーズの残りも受け取りたいと言っています。ですから貴殿の許可を得て、この第２回も同誌へ渡したく思います。
《ボヘミアの醜聞(A Scandal of Bohemia)》の校正刷を書籍郵便に同封いたします。この物語に関連しますが、先日編集長を訪れた際に、《四つの署名》を読む楽しみを味わったことのない読者にもシャーロック･ホームズという登場人物が理解できるよう、貴殿が物語冒頭部に数行を挿入できればうれしいと言われました。提案されたような数行を貴殿は挿入できるかもしれません。

(代理人ワットからアメリカ新聞連合編集者Ｓ・Ｓ・マクルーアへ)

　　１８９１年４月１４日
Dear Mr McClure

　本日午後の会話に関連しますが、貴殿が当地では来たる６月のどこかで発表が始まるコナン・ドイル博士の『ラッフルズ・ホーの奇蹟』のアメリカ連載権を進んで購入され、さらにその権利のために総額40ポンドを進んでお支払いいただけると私は理解しております。土曜日前にこの物語の写しをお送りできると思います。そのときに開始時期や連載回数などの全詳細をお知らせします。
　また、貴殿がこちらもドイル博士によるシャーロック・ホームズ氏という人物の経験を物語る探偵もの六作シリーズに総額50ポンドを進んでお支払いくださると理解しています。この物語はこの国では月刊誌に発表されます。今週中に最初の物語の校正刷をお送りし、同時に当地での正確な発表の日付をお知らせできると希望しております。(以下省略)

ワットがアメリカに連載権を売却
《ラッフルズ・ホーの奇蹟》のアメリカでの連載権金額、４０ポンド。
ホームズ・シリーズ(六作品)のアメリカでの連載権金額５０ポンド。
３０ポンド１２シリング、《ボヘミアのスキャンダル》の英国での(『ストランド』誌)掲載権。

(代理人ワットからドイルへ)

　１８９１年４月２０日
Dear Dr Doyle

　貴殿の本日付のお手紙と《赤毛組合の冒険》( “The Adventures of the red Headed League”)を一緒に受け取りました。これはただちに『ストランド』誌へ渡します。
　アメリカ著作権法案中の一条項を見て思い、判断するに至ったのですが(私の条文解釈が正しいか、絶対確実ではないですが)、７月１日以前に発表される連続短編や連載小説には７月１日以後に発表されるものへのような著作権が適用されません。もし、これがこの条項の解釈であれば(そうだと強く思います)、『アンサーズ』誌での《ラッフルズ・ホーの奇蹟》の始まりを６月のどこかにすると、貴殿はアメリカでの著作権を失います。同誌に発表開始を７月第１週まで延期させること、貴殿にお出来にならないでしょうか。同誌は進んでそうすると思います。どうか先方と話し合い、この件について何がお出来になったかを、できる限り早くお知らせいただければと思います。

　一作目は “A Scandal in Bohemia”《ボヘミアの醜聞》、二作目は“A Case of Identity”(花婿の正体)となっていますが、三作目からは“The Adventures of the red Headed League”《赤毛組合の冒険》という具合にThe Adventures of 〜　が付くようになりました。これは２２日の代理人ワットの手紙を読むと、２０日以前にドイルが代理人ワットと面会して「集合タイトルについて話し合った結果」だと思います。また、この面会は以後の手紙の内容からドイルが代理人ワットに会いに行った可能性が強いです。
　またドイルには非常に重要なアメリカでの出版に対する収入を確保する内容が詳しく説明されている手紙です。
　それは、アメリカには外国人の著作権を守る法律がありませんでしたが2月に「著作権法」が成立しました。このことをウィーンで眼科の勉強をしていた時に母宛の手紙に「著作権法案が議会を通過したと聞きました。もしそうなら、僕の収入は格段に増えることになるので大歓迎です」と記しています。しかし、具体的に自分がどのように対処するべきかは判らなかったようです。
　２月に議会を通過した法案ですが、施行は１８９１年７月１日なのでドイル作品のアメリカでの著作権を確保するためにはイギリスでの発表を７月１日以後にすることが必要でした。ところがワットは４月１４日にマクルーアへ出した手紙で、《ラッフルズ・ホーの奇蹟》の発表は当地では来たる６月のどこかで始まる、と知らせていました。そこで６日後のこの手紙で、アメリカでの《ラッフルズ・ホーの奇蹟》の著作権を守るため発表開始を７月第１週まで延期するように『アンサーズ』誌へ連絡してほしい、とドイルに求めたようです。二日後の手紙でもアメリカの著作権が話題になっています。

(代理人ワットからドイルへ)

　１８９１年４月２２日
Dear Dr Doyle

　先日、貴殿にお会いしましたときに私たちがシャーロック・ホームズ・シリーズの集合タイトルを決めたかどうかを失念いたしました。どうか、正確な文言を教えて頂けないでしょうか。アメリカの著作権を完全に確保するために、ホームズ・シリーズが７月まで『ストランド』誌に連載開始されないように手配いたしました。

　ホームズ・シリーズの集合タイトルについてドイルは題名の前に“The Adventures of the red Headed League”《赤毛組合の冒険》のように「The Adventures of〜題名」と入れることを考えたようですが、代理人ワットのいう「集合タイトル」とは違っていたようです。この問題は実際の『ストランド』誌１８９１年７月号(図版4)によると
集合タイトルは　　The Adventures of Sherlock Holmes　
題名は　　　ADVENTURES I.ー A Scandal in Bohemia
と決着したことが判ります。
　この手紙で、最初にシャーロック・ホームズ・シリーズの正確な「集合タイトル(collective title)」を問い合わせています。面会した時に集合タイトルの話はあったようですが、送られてきた原稿のドイルの題名のつけ方を見て正確さを期すために代理人ワットは問い合わせたと思います。
　それから、「アメリカの著作権を完全に確保するために」ホームズ・シリーズの発表が７月以降になるように『ストランド』誌へ手配した、と知らせています。
　ワットが著作権代理人としての大事な業務を果たした結果『アンサーズ』誌は《ラッフルズ・ホーの奇蹟》の発表を半年延期して１８９１年１２月１２日号から連載を開始、『ストランド』誌は「著作権法」が適用される直後の１８９１年７月号からホームズ・シリーズを掲載しています。もしアメリカの著作権という問題がなかったら、『ストランド』誌は１８９１年７月号よりも早くからホームズ・シリーズの連載を始めていたかもしれません。

　1月に執筆した中編の《ラッフルズ・ホーの奇跡》は『アンサーズ』誌とドイルの直接交渉で掲載が決まりましたが、これは一回目の掲載権だけです。この頃は短編そして連載長編も新聞・雑誌に一回だけ掲載されるのではなく、一回目の掲載が終わった後に各地の特定地区の新聞や雑誌に掲載されていました。ワットは著作権代理人として自分を通した小説ではない作品でも売り込みをしていたのが判ります。このシステムについての詳細はアーノルド・ベネット 著守屋富生訳『作家の真実』pp.94-95で説明されています。

《ボヘミアの醜聞》の会計報告。
ワット自筆のため読みにくいのでマクドナルド論文の本文と註をまとめると

『ストランド』誌から３６ポンドの小切手を受け取る。
手数料は１５パーセントの５ポンド８シリング

　" Scandal of Bohemia"という題で代理人ワットが３月３１日に受け取り、ダイアリーでは"Scandal in Bohemia"を4月3日に送った。
　そして『ストランド』誌では"Scandal of Bohemia"を４月６日に受付。
　４月１６日のダイアリーでは入金予定として"A Scandal in Bohemia"
　４月２９日のダイアリーでの実際の入金は"Scandal of Bohemia"
　このように「ofとin」が入り乱れていますが
　『ストランド』誌7月号にはADVENTURES I.ー A Scandal in Bohemia(図版４)となっています。
　ただし、アメリカ新聞連合編集者Ｓ・Ｓ・マクルーア配下の新聞社に掲載された題名は"A Scandal of Bohemia”" A Bohemian Scandal"等があったそうですが"A Scandal in Bohemia”はないようです。(オックスフォード版シャーロック・ホームズの冒険pp.485-486より)

(代理人ワットからドイル宛へ)

　　１８９１年５月１日
Dear Dr Doyle

　貴殿の昨日付のお手紙を受け取りました。ただちに『グッド・ワーズ』誌の人々の所へ行き、貴殿が物語を書けるかもしれない、最低原稿料２００ギニーと知らせました。もし同誌がその物語を受け入れようとしなくても、それほど苦労せずに同じあるいはもっと高いレートで他の所へ決められると思います。

(代理人ワットからドイル宛へ)

　　１８９１年５月１５日
Dear Dr Doyle

　貴殿の本日付の電報を受け取りました。
　インフルエンザから回復されつつあると思います。
　『グッド・ワーズ』向けの物語についてですが、ここ数日ならどうしても急ぐことではありません。ですから、来週火曜日の１２時半頃にモンタギュー・ストリート[←原文のまま]へ(反対のお知らせがなければ)訪問させていただければと思います。

　代理人ワットは１３日付けの手紙に「貴殿の昨日付のお手紙とシャーロック・ホームズ・シリーズ第五作の原稿を一緒に受け取りました。」と書いていますが、この第五作とは《オレンジの種五つ》のことです。

(代理人ワットからドイル宛へ)

　　１８９１年５月１９日
Dear Dr Doyle

　貴殿の電報に書かれていた住所を読み間違え、あいにくなことに本日ご自宅を見つけられませんでした。
　『グッド・ワーズ』誌への物語についてですが、先方の編集長は貴殿が書こうとお考えのような物語、すなわち長さ５０,０００語の物語には１５０ポンド以上出せないと言っています。もし貴殿がそれでも同誌へ書こうとお考えになるのであれば、４０,０００語くらいの物語をこの金額で同誌向けに書き、さらに私がイズビスター社と話をまとめて、アメリカでの同時連載のためにその物語を売却することを私どもへお任せくださるように提案いたします。こういう条件であれば、物語を書いても貴殿にとって割があうと思います。どうか、この問題についてお考えをお聞かせ願います。
　また、いつウィンポール・ストリート２番地に戻られるのか、わかればうれしく思います。

(ワットからミス・ドイルへ)

Dear Miss Doyle

　貴殿の昨日付のお手紙を受け取りました。
　ドイル博士も今頃は『グッド・ワーズ』誌の物語について私からの手紙を受け取られたと思います。ですが、もし博士がまだ返事をされておられなくても、そうする必要はございません。明朝モンタギュー・プレース２３番地に博士をご訪問する予定だからです。
　《外交問題》のタイプ・コピーを拝受して『挿絵入りロンドン・ニュース』へ渡しました。必要金額すなわち２８ポンドの送り状も送付しました。
　『ストランド」誌はドイル博士に『シャーロック・ホームズ』シリーズ第２,３,４,５作について合計１３４.８.０ポンドを負うています(各物語の語数についての博士の概算が正しければですが)。[『ストランド』誌の]編集長にお会いしましたところ、[社主の]ニューンズ氏が今週末に休暇から街へ戻るので、支払いのための××[←解読不能]をわたすと約束してくれました。ですから、今週末か来週はじめにこの金額の小切手をお送りできると希望しております。

　ドイルはポルトガルで家庭教師を続けていた２人の妹ロティとコニーに対し、ロンドンで一緒に暮らそうと半年ほど前に呼びかけています(『書簡集』日本語版pp.307-308)。上の妹ロティは翌年の１８９２年１０月に兄一家と合流しているので、この手紙の宛名人「ミス・ドイル」は妹コニー(コンスタンス・ドイル)のほうです。
　ワットはこの手紙の中盤で短編小説《外交問題(A Question of Diplomacy)》の原稿を受け取ったことを話題にしていますが、原稿と一緒に届いた手紙の差出人が「ミス・ドイル」だったので、「ミス・ドイル」宛てに返信したと思われます。
　次に『ストランド』誌に送った４作の会計報告に注目すると、マクドナルド論文によれば、「ワットは最初の[ホームズ・]シリーズ全体の英国連載権について、１,０００語につき４ポンドという金額を交渉した」。１,０００語４ポンドがこの頃のドイルの作家としての評価であり、ワットの手紙を見ると『ストランド』誌はこのレートでドイルに原稿料を支払っています。
　もっとも、ワットは『ストランド』誌からの原稿料をドイルへ送るときに仲介手数料と必要経費を差し引いていますが、《ボヘミアの醜聞》の手数料は１５％で、《赤毛組合》の手数料は６％です。

《赤毛組合》の会計報告。
ワット自筆のため読みにくいのでマクドナルド論文の本文と註をまとめると

　『ストランド』誌はワットに《赤毛組合》9,300語の「英国雑誌掲載権」に36ポンドを支払った。
　ワットは手数料と必要経費を引いてドイルに30ポンド６シリング４ペンスを送った。

　以下に記した必要経費の文言が理解できませんが、ワットが送った差し引き額とドイルが受け取った金額の違いが「４ペンス」と少額なので追求は保留としました。

　ワットが差し引いた金額はマクドナルド論文によると
　「手数料６%、必要経費として《ラッフルズ・ホーの奇蹟》の複写代を２回引いている。1.19ポンド─「1/0で34,000語を複写」、複写二回の用紙代　2/8」

Send-off ‘A Question
    of Diplomacy’ to Watt.

　ドイルは実際には１９日に代理人ワットに原稿を送っていて、ワットはすぐに『挿絵入りロンドン・ニュース』に原稿を持ち込み、翌日の２０日には原稿料の２８ポンドの送付状をドイルに送っています。実際に入金になったのは７月１１日で送金額２３ポンド１６シリングなので、１５%の４ポンド４シリングが代理人ワットの手数料となります。
　この記述もあとで記入したと思われます。

　３月３１日にワットが受け取った最初の作品《ボヘミアの醜聞》の原稿料をドイルは４月２９日に受け取っていますが、この後の支払いは５月２０日付けの代理人ワットの手紙に書かれているように、社主のニューンズが休暇のためか支払いが遅れていました。そして入金になるとしたら順番としては二作目《花婿の正体》のはずが、なぜか三作目の《赤毛組合》原稿料が送られてきました。
　残りの入金は 二作目の《花婿の正体》は７月１７日、四作目《ボスコム谷の謎》と五作目《オレンジの種五つ》は１０月３日と非常に遅いです。それと四作目の《ボスコム谷の謎》の入金は８月２６日にも３４ポンド１１シリング６ペンスがダイアリーに記されているのは不思議です。
　発送日４月１０日二作目《花婿の正体》
　発送日４月２０日三作目《赤毛組合》
　発送日４月２７日四作目《ボスコム谷の謎》
　発送日５月１２日五作目《オレンジの種五つ》

この手紙のコピーはとっていないので閲覧した時のメモによると
代理人ワットからドイルへ［タイプ手紙］

「少々重要な用件があり、貴殿とお話ししたく思います」そして都合の良い時間を知らせてくれればその時に伺う、と続いている。

(代理人ワットからドイル宛へ)

　　１８９１年６月２日
Dear Dr Doyle

　貴殿の昨日付のお手紙を受け取りました。バレスティアが買ったのは貴殿がお考えのとおり《ラッフルズ・ホーの奇蹟》のアメリカ単行本権だけであります。少し前に貴殿にお会い致しましたときに、(ご記憶から抜け落ちておられるようですが)この小説の使用権をニューヨークのＳ・Ｓ・マクルーア氏に４０ポンドで売却したことと、同時にシャーロック・ホームズシリーズ六作のアメリカ連載権をこの紳士に５０ポンドで売却したことをお話ししました。そのとき貴殿が非常に良い売り込みだと思うとおっしゃって下さったことを覚えております。
　『グッド・ワーズ』誌との契約の要点を書いておくのがよろしいかもしれません。物語は今年１１月２６日頃に発行される『グッド・ワーズ』クリスマス号向けです。貴殿は(長さが４５,０００語以下でない)物語の完成原稿を今年９月１日以前に渡すことになります。

Ｐ．Ｓ．イズビスター社がこう書いてきています。
　「９月１日よりも少し早い時期に原稿の一部分を頂けないでしょうか。もし期待できないのであれば、ドイル博士は数週間以内にミード[？]博士へ、おおよその粗筋や登場人物を知らせることができると思います」

　５月２９日の代理人ワットからの手紙から推測すると５月３０日か６月１日にワットはドイルと面会したと考えられます。ドイルはこの時のワットから『グッド・ワーズ』誌との契約の内容と、イギリスの作品をアメリカで刊行をする仲介をしていたバレスティア(個人の名前です)との契約の金額を聞いてポケット・ダイアリーに記入したのでしょう。でも、何か疑問があったのでワットに問い合わせの手紙を書いたのだと思います。
　これに対してワットはドイルの勘違いを丁寧に説明をした上で、念のために『グッド・ワーズ』誌との契約について文字でも説明したと思われます。
　 ドイルが執筆する作品の文字数を勘違いしていた理由は、この頃のドイルの作品のレートはワットの尽力により「１０００語で４ポンド」までになっていましたが、『グッド・ワーズ』誌との契約は４２,０００語だと１５０ポンド≒１,０００語で３.５７ポンドとかなりのダウンですが、４５,０００語で１５０ポンドだと≒１,０００語で３.３３ポンドと現在のレートから大幅ダウンとなることだと思います。
　ワットは原稿料を現在の作家の評価へ近づけようと努力して、アメリカの出版社にも働きかけ、だいたい一か月で契約まで持ち込んでいますが、５月１３日以降ぶつかったのがドイルのインフルエンザ罹患です。
　『グッド・ワーズ』誌に小説を書くという話が５月１日には始まっていたことと、ドイルのインフルエンザがこの小説の仲介作業の妨げになったことの２点は、『レター・ブック』第２５巻の閲覧ではじめて明らかになったのです。
　ドイルは１８９１年６月２５日にロンドン郊外サウス・ノーウッドへ引っ越し、契約した日よりもかなり早い７月８日に中編小説《都市郊外で(Beyond the City)》の原稿を『グッド・ワーズ』誌へ送っています。そして『グッド・ワーズ』誌は契約どおり、この年のクリスマス号『グッド・チアーズ』誌に《都市郊外で》を一括掲載しました。

　2日にドイルに出した手紙の返事がきたのでしょうか、代理人ワットは《ラッフルズ・ホーの奇跡》のアメリカでの単行本の契約先であるバレスティアに「契約ドラフト(契約書か？）」を送っています。
　また、６日付けでは《ラッフルズ・ホーの奇跡》のイギリスでの単行本を出すカッセル社に原稿を送ったこと、そして(前払金)１００ポンドと印税が２０%であることをドイルに知らせてきていますが、８月７日と１０月５日のダイアリーにもカッセルズ社との契約についての記述があります。
　『自伝』の第１０章には「大したできではない」作品と書いてある３４０００語の中編《ラッフルズ・ホーの奇跡》ですが、２月３日に掲載誌の『アンサーズ』誌から送られてきた掲載料１５０ポンドを含めると２９０ポンド(プラス印税)の収入になります。

(代理人ワットからドイル宛へ)　23 Montague Place S.W.宛

　　１８９１年６月１１日
Dear Dr Doyle

　貴殿の今月１０日付のお手紙を受け取りました。本日、貴殿のお手紙の話題に関連してカッセルズ社の支配人にお会いします。数日以内に間違いなくふたたび貴殿と言葉を交わしあえると考えております。
　インフルエンザとその影響から、もうすっかり立ち直られたことと思います。失礼いたします。

参考資料
Peter D. Mcdonald
'The Adventures of the Literary Agent:Conan Doyle, A.P. Watt, Holmes andThe Strand in 1891'(『マクドナルド論文』と略)
『コナン・ドイル書簡集』スタシャワー／レレンバーク／フォーリー編　日暮雅通訳　(『書簡集』と略)
A Bibliography of A. Conan Doyle　：Richard Lancelyn Green/John Michael Gibson著(『ドイル書誌』と略)